「ためいき」
紅顔の哲学者を目指して#27
2024年11月27日(水)
はぁ、とため息をつく。
僕自身がつく。精神面で今疲れているのかなと感じる。そのため息と共に精神的な疲れが襲ってくる。
他者がため息をつく。それを見る、聞く。とても嫌な気分がする。疲れが周囲に伝播する。幸せが逃げてしまう。とか誰かが言う。
ため息は出した方がいいのだろうか。それとも出さない方が、、、
僕も今までは(哲学と出会うまでは)ため息に対する印象は相当悪いものであったし、出してはいけない、もしくは出さない方が良いという考え方でいたし、他人がため息をつくのを聞くと少し気分が鬱屈していた。
でも、ため息は出した方がいい。いや、出さなければいけない。
身体面での老廃物が便ならば、精神面での老廃物はため息だろう。間違いなく。
それを出さないということは、言うまでもないが、そういうことになってしまう。
だから出さなくてはいけない。うんちよりも良いではないか。場所を選ばずに排出可能なのだから。トイレのような決められた場所に行かずとも、いつどこでも気にせずに出せるし、出したらいい。
家の中、仕事場、電車の中、街の中心で。
僕も今日は座禅っぽいことをやりながらたくさんため息を吐くことができた。
それができた暁には自分を褒めてあげよう。それもたくさん。そして、友人・家族がため息をつくことができたのを見かけたら、よくできたねと褒めてあげよう。さらに拍手までしてあげよう。そんな感じでいい。きっと。いや、絶対に。
別に大きくため息をつかないといけない訳ではない。息をするように静かにため息をついたっていい。とにかく出すんだ。たくさん出そう。みんなで。
ただ、ため息まみれになった空間は少し気が重いので、しっかりと換気は忘れずに。
ため息は出した方がいいと言ったが、もちろん出ないのなら無理に出そうとしなくてもいい。でも僕はいくら幸せな人でもため息は出るだろうと思うし、というか、ため息の出ない人はこの世にいないのではないかと思う。もちろん、ため息が出ないからと言ってそれがおかしいとは全く思わない。
だから、僕もこれから先、ため息が出そうになったら、遠慮せずに、我慢せずに、頑張って出そうと思う。
その方が僕は絶対に行きやすいし気楽だと思うから。
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