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教育現場にも「アドボカシー」が必要だ
アドボカシーとは、「擁護・代弁」という意味らしい。
最近(というか、ここ数年ほど)、私はこの「アドボカシー」というものに興味を持っている。
なぜかといえば、自分が働いている不登校支援の現場でも、この「アドボカシー」という概念が重要だと感じているからだ。
そして、重要だと感じつつも、実際にはなかなか実践できていない歯がゆさを抱えているからだ。
不登校の子どもは、学校に行けない、行きたくない理由が
20210213_Switchが来たから遊んでみた。
楽しみにしていたSwitchが来ました。
嬉しい。
というわけで、早速荒野行動をダウンロードして遊んでみました。
遊んだ時間は約6時間位。
遊んだ感想を書いてみます。
◆Switchは私の手持ちAndroidよりも全然マシ。
これは多分、Androidのスペックにもよると思うんですが、私のスマホは、約3年前に発売された外国製のものでした。
それで荒野行動をプレイするのはそもそも間違い、という指
Switchに対する荒野行動とAPEXの、熱の入れ方が違いすぎる気がする。
昨日、Nintendo Switchを購入する、という記事を書いた。
購入したあとで調べるのもおかしな話ではあるが、もう少し、Switchで荒野行動がどれくらい動くのかを調べる必要があると思い、とりあえずググったりしてみた。
その結果、荒野行動とAPEXとで、Switchという同じハードに進出するのに、その熱の入れ方があまりに違いすぎるのでは?という点が気になって仕方がなくなった。
その違いを、
20210208_Nintendo Switchを買うことにした。
私はこれまで、ほとんどゲームをプレイしたことがない人生を送ってきた。
遠い昔に、PS2とかいうものを買ってもらってやったこともあったが、私はとにかく視覚的な映像というものに相性が悪く、ゲーム自体を面白いと思ったことがなかった。
何より、昔のゲームはグラフィックが悪く、買ったソフトもそもそも何でそれ?というものだったし、面白さを体感するところまで上達もせず、一緒に遊ぶ友達もいなかったので、全然ゲーム
20210131_ゲームと本 どっちにも時間を割きたい けど割けてない
年末くらいから、私もゲームをやってみようと思って、「荒野行動」を始めた。
なぜ荒野行動を選んだかというと、子どもがやっていたから。
そんなにハマって楽しいものなのかなあ、とずっと思ってて、でも、色々調べているうちに、自分でやったほうが早いなあ、と思って始めた。
私はもともとeスポーツに興味関心があって、eスポーツの可能性ってどんなふうに広がっていくんだろうなあ、ということにも興味があった。
それで
20210130_現代の不登校支援に必要なこと(現時点で)
不登校支援に携わって、もう少しで1年が経とうとしています。
この仕事に関わる中で、不登校支援に必要なことってこういうことでは…?という仮説が徐々に固まってきたので、とりあえずメモ程度に残しておきます。
不登校支援に必要なこと
ハード面(施設、人員など)・毎日集える施設→定期的に自宅街に足を運べる施設は必要。その施設の設備については以下に書きます。
・施設設備→最低でも3部屋は要るかも。事務室
20201207_ことんと考え方が変わった話。
しばらくぶりにnoteを書く。かな?
最近は、子どもがぱったりと来なくなっていて、正直なところ、ほとんどの時間を持て余し気味に過ごしてしまっていた。
仕事に行っても、その対象の子どもがいない、ということは、こんなにもつまらないものなのか、と思った。
「つまらない」。
まさにそのとおりで、私は昨日今日まで、随分しばらくの間、「つまらない」状態で過ごしていたのだ。
このつまらなさを解消してくれていた
20201121_なんとなく疲れた日に書く日記。
先週末から今週末にかけては、なんだか、ひどく疲れた。
それは、単に日曜日に遠出して遊んで帰ってきたというのが原因でもあるし、その前日に、こちらとしてはなんの気無しに、そして一応丁寧に綴ったつもりのメールに対し、なんだか、あまりにもそっけなく、冷淡な返信が届いてしまったことも原因になっている。
遠出したことで感じた肉体の疲れと、あまりにそっけない返信に対して感じた精神的にどっと来る疲れと、二重で疲
不登校の原因を子どもたちに押し付けるな。
今日もまた、いわゆる「世間」というものに、違和感を持ってしまった。
それが何かというと、
1.「枠に入れない子」が不登校児になる、という言い草
2. 職業、性別、年齢に対する偏見・差別
の2つかな。
1.「枠に入れない子」が不登校児になる、という言い草いや、これ何回言ったら学校側の認識が変わるんだろ。
とにかく、「学校側の認識」を変えることがものすごく必要だと感じる。
「不登校児は、いわゆる