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20201207_ことんと考え方が変わった話。

しばらくぶりにnoteを書く。かな?
最近は、子どもがぱったりと来なくなっていて、正直なところ、ほとんどの時間を持て余し気味に過ごしてしまっていた。
仕事に行っても、その対象の子どもがいない、ということは、こんなにもつまらないものなのか、と思った。
「つまらない」。
まさにそのとおりで、私は昨日今日まで、随分しばらくの間、「つまらない」状態で過ごしていたのだ。

このつまらなさを解消してくれていたのが、目の前にいた子どもたち、特によく交流するようになった男の子だったのであろう。
彼らにはよく救われた。
本来的には、私のほうが支援者として彼らを救うべきなんだろうが、正直に言って、この半年ほどは、私のほうがたくさん救われた。
自分自身が疲れ果てていたし、何かを成し遂げなくてはいけないという強迫めいた思いにずっと苛まれていたし、それから抜け出そうとしても、なかなか抜け出せなかったし、私はもう、自分のこれからの人生はもう「余生」なんだろうなという気分でいたし、そういう気持ちでいた中では、子どもたちとの交流は、なんというか、ものすごく心濯われるものだった。

別に多分、子どもたちは、私を慰めようとかなんて思っていなくて、ていうか、そんな思いは微塵もなくて、ちょっと変わったおばさんとして接してくれていたと思うんだけど、私も別に子どもを特別扱いもしなかったし、彼らも私を特別扱いしなかった。

そこがものすごく、心地よかった。

大人同士の、打算的な部分とか、駆け引きとか、意思の疎通にやたらと言葉を尽くさなきゃいけないところとか、思ったことをすぐに口に出せないところとか、そもそもタメ口使っちゃいけないとか、陰キャのままではいられないところとか、そういう、私にとってはすごく疲れるところを、子どもの前ではごちゃごちゃ考えなくても良かった。

もちろん、子どもにとって変な影響、悪影響は与えちゃいけないから、そこは流石に私でも配慮してたけど、なんだろうな、昔からの友人でも、やっぱり距離を感じ始める年代であったこともあって、なんか徐々に疎遠になっていくなあとは思っていたところに、思いがけず、キラキラしたものが降ってきたから、それで私はなんだか生活にハリが出てしまったんだろうなあ、と感じた。

でもこのハリが、子どもたちが来なくなったらあっという間に無くなるもので、私は、このキラキラしたハリを楽しみに、毎日本当に楽しみにしていたんだなあ、と痛感した。
無くなって、初めて分かる、云々、てやつ。

なんだろうな、そのことを受け止めるのにすごく時間がかかっていて、まあ時間がかかるって言ったって、2週間位のものなんだけど、子どもたちが来なくなって色あせていく風景を見るのに、流石に私もしんどさを感じていたんだなあ、と思ってね。
学校とか、塾とか、子どもたちのエネルギーがなかったら、ただの建物じゃんね。
そこに充満する活気みたいなものがなかったら、その場所に「意味」ってどんどん無くなってしまうんだ。

で、まあ、そういう子どもたちが来なくなって色あせていく風景を見ながら、私はそうかと言って何かができるわけでもなくて、教員免許の取得は面倒くさいし(本当に面倒くさい。だから教育実習に行ったら免許の取得を中断しようと思う。教師になる気は全然ないし。)、プライベートでもちょっと精神的に落ち込むことがあったりして、なんだか最近元気がなかった。

でも、昨日今日にかけて、ようやく元気を取り戻すことができてきた。
それが何かというと、やっぱり「本」。
「本」と「漫画」。

最近、ずっと土日は子どもとゲームしたり、オンラインでチャットし続けたりしてて、そっちの方がずっと楽しくて、女々しいなこいつは、と思うけど、ひとりじゃないのってやっぱり楽しくて、そういうことが当たり前にできてて楽しかった。
でも、それもぷっつり無くなってしまって、私はまた、単なる独り身のアラサーになってしまって、虚無すぎる休み時間をどう過ごしていいか突然わからなくなった。

いや、本当に私には、この空いた時間をどうすればいいのかがわからなくなっていた。

これまで、一体どうやって過ごしてたんだろう?
本当にわからない。
だから、結構混乱してたし、寂しさを埋めるためにオンラインのチャットとかもうろうろしてみたりした。

が、結局、行き着いたのは「読書」だった。

読書はいいよね。
ふと思いついて、漫画を借りてきた。

「鬼滅の刃」
「アンサング・シンデレラ」

の2つを借りてきて、即読んだ。
特にアンサング・シンデレラが良くて、これは紙で買おう、と思った。
やっぱり、仕事っていいよな。
仕事は、ずっと続けたいし、いつまでも仕事はしていたい。
お金をしっかりもらいつつ、自分の居場所を社会の中に少しは置いておきたい。
薬剤師という役割は、身近にいないから初めて知ることばかりだったけど、仕事における根本的な思想としては、どんな仕事にも共通することが書かれているんじゃないかと思った。
私にも、すごく刺さった。

それで、なんとなく興が乗って、「氷点」を読んだ。
なんで氷点下というと、Twitterで流れてきたから。
高校生くらいの頃に、一度は読んだ気がするし、確かテレビドラマでもやっていた。
鬼束ちひろが主題歌?歌ってたよね。

なぜか上巻しか持っていなくて、下巻は今取寄中。
こんな話だったっけ?って思いながら読んでる。
もっと昔にちゃんと意識がはっきりしてて、今みたいな考え方する私だったら、完全に徹視点で陽子を犯す二次創作とか書いてそうだなーと思った。
下巻を読んでいないのでなんとも言えないけど。
それにしても、こんな話だっけ?(2回目)
啓造が死にかけるところとか、マジで記憶になかったし。
徹と陽子くらいは名前覚えてたけど、そういえばこんな人達が出てくるっけね…?という感じ。
でもやっぱり、辰子は好きなタイプだよね。
自分もこれから女ひとりでどうやって生きていこう?って感じなのだし、辰子みたいなおばさんポジ、めちゃくちゃ憧れる。(そういう話ではない)

あとは、柚木麻子さんの「ナイルパーチの女子会」を再読した。
これも正直、こんな話だっけ?って思いながら読んだ。
というか、怖すぎるんだが。
なんか柚木さんの話って、明るくて励まされる話もあるんだけど、いや怖すぎるだろそれ!?!?っていうストーリーもあって(けむたい後輩とか。)、ナイルパーチの女子会は、読み返したら完全に後者だった。

つか、この怖さ、桐野夏生のグロテスクとおんなじ系譜じゃん。(違うかな??)
なんていうか、女子の中にあるどろどろしたものをどう書くかの違いで、最終的にゾッとするものをまざまざと見せつけられる、っていう点では共通してると思う。
いやほんとに怖いよ。

わしは義務教育課程~高校生まで、「女子の友達」ってものがよくわかんなくて、でもじゃあハブられてたかって言ったらそれもよくわかんないんだけど、なんか途中から本のほうが面白すぎて、人間関係よくわかんないなってままおとなになっちゃったんだなって感じ。
でも、この主人公たちみたいに、人から相談を受けるってこともないし、本当に私のこと頼りにしてる人ってどんくらいいるんだろ~、って感じ。
私ももっと人を頼ったりすればいいのかも知んないけど。
まあでも、両親とも、人付き合いド下手だったからな~。
情緒不安定だったし、そりゃ子どももそんなにうまくはならんだろ、という感じ。

で、ちょっと柚木さんのインタビューとか読みたいなあと思ってネットサーフィンしていましたら、あー、やっぱり、面白い本って色々あるんだよなあ……、って、当たり前のことに気づいてしまいましてね……。
なんだろう、やっぱり、田舎にいすぎて、で、なおかつ今貧乏で、しかもコロナの流行で、あんまり都市部に頻繁にいけなくなってたからこそ、「文化的な享受」そのものの面白さってことをすっかり忘れてたなって。
美術館なり博物館なりに行ったり、自分の好きな本を図書館で探したり、作者のインタビュー読んだり、つながりのある本や出来事を探したりしてまた読んでみたり、とか、そういうこと。
あと、こうやって何か自分で思いついたことを書いてみるとか。
二次創作とまでは言わなくても、もう少し創作してみるとか。
なんか、そういうことの面白さをすっかり忘れてたなあ、って。

もちろん、子どもとの交流でそういう面白さを上塗りされて、すっかり忘れてたってこともあるんだけど、私は、また勝手に私自身に「頑張りすぎる」ことを課してたなって。
別に、めっちゃやりたいから教員免許も取り始めたわけじゃなくて、とりあえずとっとこうかって感じだし、だから全然やる気も出ないし、そもそも私は学校教育が好きじゃないんだって。
なのになんでそんなもん取ってんだよ???っていうね。
いや、まあつぶしがきくときもあるかなっていうね…。
(それなら看護師とかのほうが良かったと思うけどね)

まあ、そうやって、「実はやらなくてもいいんだよ」ってことをまたもや自分に課しすぎてしまったなって。
なんだろう、「実はやらなくてもいいんだよ」ってことって、振り返ったら結構あって、そんなの、別に私がしなくてもいいじゃん、てことと割と同義なんだよね。
そうじゃなくて、今の私に必要なことって、もっともっとゆっくり休んで、本読んだり、映画見たり、インプットって言ったらすごい陳腐なんだけど、とにかく、精神的に充足することが必要なんだなって思った。

いや、あの、子どもとゲームするのはすごい楽しいんだよ?
楽しいんだけど、じゃあそれで「精神的な充足」があるかっていうと、「楽しかった」とは思うし、もっと子どもと交流したいからゲームもしたいなって思うんだけど、「一人でじっくり物語の世界にダイブする」とか、「一人でしっかり思索にふける」とか、そういうタイプの楽しみ方ができないなって思ってさ。

私は、一人でもじゃもじゃうだうだ考えるタイプだし、文章もそういうのが多くなっちゃうし、読むのもそんなんが多くて、考えてるだけで割と暇が潰せるタイプだから、なんか、そういう自分の時間を大事にしなくちゃいけなかったよなぁ!?って、やっと目を覚まされた感じ。
え?いまさら?って感じなんだけど、子どもとの交流が楽しすぎた反面、そういう自分の時間を置き去りにしてきてしまったな~とも思ってて、そこまで没入できるのは私のいいところでもあるんだけど、危ない部分でもあって、本当に一長一短だな~とは思うんだけど、まあ、現実に引き戻されてよかったねっていう。

いや、よかったよ。

また今度は図書館にも寄ってきたいし、漫画も借りてきたい。
ゆっくり本を読む時間も大事にしないとね。
子どもとゲームももちろんしたいけど。
両者のバランスを、いい感じに両立できたらいいな。
あまりにどちらもしなさすぎても、私は物足りないし。
でも、子どもにも事情があるし、私にも事情があるし、お互いにいい感じにバランスを取っていくことができればいいな。

と、やっと腑に落ちたのでした。

あと、関係ない愚痴として、やっぱり教員免許の更新期限切れてたので、あの校長って本当にイキってる割には仕事してねぇな、と思ったのでした。
マジであいつはクソ。

おしまい。

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