ヒエロニムス・ボスが教えてくれる、世界との向き合い方。
ヒエロニムス・ボス『快楽の園』の世界観をもとにつくられたゲームがある、と知ったことをきっかけに。彼に関して書いた過去回に情報量を足して、書き直すことにした。
主にゴヤについて書いた回に、ボスの話も入れてしまっていた。これは別々に書いた方がよかったなと、機会をうかがっていた。
「中世後期の武器や魔法のアーティファクトを駆使して、闇と光の世界を勇敢に駆け抜けよう。『ヒエロニムス』はあなたを深淵へと誘うだろうが、そこにはあなたを導く光もある」
「『ヒエロニムス』というゲームは、封建制の崩壊や黙示録の探求を通して、偉大な芸術家の1人をプレイヤーに紹介している」
だってさ。おもしろそうだよね。
2022年に、TRPGデザイナーのオコネル氏によって、リリースされた作品で。プレイヤーは常に、The Follower と呼ばれる謎めいた存在に追われる。最大5人でプレイできる。
まさに、ウォルター・ギブソンが記したように。「形が目の前でちらつく、変化する夢と悪夢の世界」を体験できるそう。
3つのパネル:エデンの園・現世・地獄から成る、220cm × 390cm の大きな絵だ。
この作品の解説をする前に、ボスの話と祭壇画の話をする。
ボスの人生の多くは謎に包まれている。
ボスの本名は Jeroen van Aken(音をカタカナで表すと、イェルン・ファン・アケンという感じ)だが。各作品に、Hieronymus Bosch とサインを入れている。
Hieronymus はギリシャ語起源の男性名で、意味は「神聖な名前」。Bosch は生まれ育った土地名からきている。
ボスは、1450年頃に(生年月日もわからないのだ)、ブラバント公国(かつて存在した封建公国)のストルストーヘンボスという街で生まれた。祖父・父・数人の叔父も画家だった。
彼が人生の大半をすごしたストルストーヘンボス/デン・ボスは、現在、オランダの都市である。
実は、オランダにはボスのオリジナル絵画がない。かつて、戦利品としてスペインにもち去られたため(八十年戦争)。ゼロって……。ゆかりのある土地に、還してあげればいいのにね。絵にだって、故郷ってものがあるんじゃないの。
ボスの作風は、ルネサンス期の先進的な空間表現とはかなり異なっていた。彼は、中世的な要素を残しながら奇想の世界を描いていた。
リンク先で、ボスの作品が183点見れる。
紹介したのに全て確認していなくて、申し訳ないが。いや、専門家の間でも議論が続いているのだから、個人で確認も何もないのだが。ボスの作品なのか/ボス風の作品なのか、確証のないものも、おそらく含まれている。
海外からも依頼のある人気画家だったボスの、作品を真似る「追随者」が大勢いたという。工房で弟子が描いたかもしれない作品(本人許可アリの真似)もあわせると。判断のつかない類似作品が、250点ほどあるというのだから。
最新技術による解明で、ボスの代表作とされていた7作も、真筆確定から外された。
ルネッサンス時代。有能な芸術家なら、誰でも一度は祭壇画の制作を依頼されたことがあるというくらい、祭壇画というものが流行っていた。
ボスも。依頼されて複数の祭壇画を制作した。その中で最も有名なのが『快楽の園』なのだ。
ボスの場合、こんなに宗教的ガイドラインから外れていて、大丈夫だったのかーーという疑問が浮かぶだろう。大丈夫だったのには理由がある。
ボスの絵画は、宗教機関だけでなく学識のある世俗のパトロンからも、注文されていたのだ。
ボスの作風をこよなく愛しパトロンとなった者の中には、相当な権力者もいた。ネーデルラントの統治者だったフィリップ1世だ。彼は、三連祭壇画『最後の審判』をボスに注文した。
わかる。なんと言うか、くせになるのだろう。もしくは、こうだ。「その服のデザインすごく珍しいね!どこで買ったの!?」「あ〜これ〜?ヒエロニムス・ボスってブランドなんだけど〜」(鼻高)
フィリップと親交のあった貴族の1人が、自身の結婚に際して、ボスに絵画を注文した。それが『快楽の園』だった、という説がある。
結婚祝いに贈るような絵か?と。それこそ、ぶっとんでいる。
『干草車の三連祭壇画』もボスの作品だ。
どの祭壇画を解説しようか、迷ったが。これを掘り下げてみることにする。
全体として、人間がもつ物質的な欲望を示している。破滅しないために、現世の財産や目先の感覚的喜びを放棄すべきだと提案している。
ボスの「主張」は他の画家たちと違う。
善行をすることにフォーカスしていない。彼が伝えているのは、もっぱら、悪を避けて生きろということだ。
ローマ教会は、最大の地主であり封建主義の中心だった。ボスが亡くなったのは1516年。ルターが聖職者の腐敗に立ち向かったのは、その1年後。
『干草車』で、ボスも、行動をおこしていた。祭壇画の慣習を破る(干し草の山を描くという型破り)だけでなく。
干し草の象徴性について、複数の説があるが。お金を表しているというのが、最も有力な説だ。
教会や国家の指導者らの列は、高額な税や大量の免罪符販売でできた、干し草の山へと通じている。彼ら彼女らから、騒ぎ立てている様子は見受けられない。ドイツの格言にこんなものがある。「非常に裕福な人にとって、お金は干し草のようなものだ」。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』伝説の ()「Fun Coupon」シーン。
干し草を荷車で地獄へひっぱっているため、これらは悪魔ということになるのだろうが。その姿は、半分動物で半分人間だ。
先は、暴力と戦争につながっている。ここは本当に地獄か。別パネルに描かれているからと言って、安心できない。地上との境はあいまいだ。
地獄(仮)で建設中の塔は、ヨーロッパ中の人々に免罪符を売った利益で、建てられているのかもしれない。あ、間違えた。干し草で。
非ヨーロッパ人と思われる人(頭にターバンをまいている)を含む、あらゆる人々が、できるだけ多くの干し草を得ようとしている。干し草の奪いあいで死傷者も出ている。
乳児や幼児を誘拐しているかのような男がいる(背中の赤ちゃんが、助けを求めているように見える)。こいつ、子どもを干し草と交換する気か。
修道女がバグ・パイプ奏者に干し草を手渡している(当時、バグ・パイプは乱交の象徴だった)。お姉さ〜ん!正気をとり戻して〜!
そんな惨状を見下ろす、正直かなり無力そうなキリスト。アテレコしよう。「無理ぽ」だ。
キリストを見上げているのは天使だけだ。要するに、人間は全員神を忘れている。罪深い行為に関わっていない唯一の存在、愛しあう恋人たちも。互いに夢中になっているだけで、神を見てはいない。(学者らはそう解釈していないようだが。私には、「まだまし」だから一番神に近いところに描かれているだけに見える)
この作品を通してボスのことを考える時。札束の山を燃やすジョーカーを思い出さずにはいられない。私はこのジョーカーを拒絶しきれない。
パネルが閉じられている時に私たちが目にするのは、旅人の描写である。
背景に描かれているのは、危険な道中だ。絞首台・バグパイプ奏者(前述したがハニトラみたいなもの)・無法者・とげのある首輪の犬・腐敗・死……。ここは地上だ。旅人は私たちだ。
目的地もなく方向性もわからない巡礼の旅 = 人生で、その先に何が待ち受けているのかわからないまま、進み続けなければならないこと。
ヒエロニムス・ボスはそれを知っていた。
祭壇画(altarpiece)。ラテン語の altare・古英語の altar は祭壇。キリスト教教会の祭壇の近くに置くために制作される、宗教的主題をもつ絵画や彫刻。
祭壇に大きな絵を設置する、そのねらいとして。司祭が背を向けている間に、会衆の意識を儀式に向けさせ続けるなどもあった。
祭壇画は、2つ~3つにわかれたパネルから成ることが多い。2つなら二連祭壇画、3つなら三連祭壇画。それ以上は多翼祭壇画と呼ぶ。
祭壇画の外側は内部に比べて損傷が多いことから、開閉パネル式であったことの利点がうかがえる。実際、年間を通して、ほとんど閉じられたままだった祭壇画も少なくなかったそう。(イベント時だけ開く)
祭壇画に見られる一般的なテーマ:受胎告知・イエスの降誕・最後の晩餐・磔刑(crucifixion
)。多くのパネルにわたるほど、より複雑な物語が表現される。
例)パオロ・ウチェッロ『聖体冒涜』の6枚パネル。
ユダヤ人の金貸しへ返済するために、聖体を盗む女性の話。冒涜行為で両者が逮捕される。金貸しは火あぶり、女性は絞首刑に。
祭壇画(絵画や彫刻)をいくつか貼っていく。すごくきれいだよ。
『イーゼンハイム祭壇画』について。
フランス北東部のイーゼンハイム/イッセンハイムの、聖アントニオ修道会の依頼で。1515年頃に2人の芸術家が制作した。
現在は、コルマール(同じくフランス北東部にある小さな都市)の美術館に展示されている。
『ハウルの動く城』の中に、コルマールの建物が出てくるそう。
「聖アントニウス病」と呼ばれた、皮膚病があった。
ライ麦の草に生える菌類による中毒だった、と現代では判明しているが。当時は原因不明だった。手足に、強い痛みを起こしたり壊疽を起こしたり。さぞ、恐ろしかったろう。
修道士たちは、人々の疫病を治療しようと、上質(と思われる)パンと聖なる酒(ハーブを混ぜたワイン)を与えていた。
これが第一面だ。
左にペスト犠牲者の守護聖人。右に聖アントニオ。中央と下部にキリスト。
このキリストの皮膚を見てほしい。痘痕や発疹のようなものが描かれているのが、わかるだろうか。キリストは、疫病患者らの苦痛を理解し共有していると。そういう表現なのだ。このような表現は、ヨーロッパ美術の歴史において、異例である。
患者らになぐさめを与えることを意図して依頼されたことが、うかがえる。
ちなみに、この絵のキリストは大きい。この感じでは2m近い長身になる。いろいろと特異な点のある傑作だ。
さて、『快楽の園』の話をしよう。
ここから先は、以前書いたものと同じだ。前に読んでくれた人がまた読まなくていいように、最後にした。
前述した、結婚祝いの品だった説をとなえる人は、少数派で。異端とされたキリスト教運動「自由な精神の兄弟たち」と、関係があるのではないかと言われている。地上で罪をおかすことなく生きることは可能である、と信じていた一派だ。
本当に?このハチャメチャが?笑
右下に巨大なイチゴがあるのが、わかるだろうか。当時、イチゴは媚薬だと考えられていた。
フクロウを1羽発見。センターライン左端だ。この作品が描かれた時代(1490年~1510年の間と推測されている)、何の象徴だったのか。
ロマネスク期(10世紀~12世紀)には、知恵のシンボルだった。ゴシック期(12世紀~15世紀)には、神の光に背を向ける暗愚の象徴だった。ゴヤの絵で説明したように、18世紀後半だと愚行の比喩だった。コロコロ変わるため、フクロウはわかりづらいな。
白と黒の鳥は、人間の善悪の象徴だそうだが。私には、白い鳥が少ないように見える。
錬金術に使用される器具に似たガラスの容器は、人間社会のもろさを表しているとのこと。
左下の拷問と上部の燃える都市は、わりとわかりやすいが。他は、かなり近づいて見ないと難しい。
中央は河川だ。軍隊が通る橋の下で人が溺れている。下部では、半人半獣(?)の生き物が人間をいためつけている。
こちらは、より見やすい。鳥頭人間が人間を食べたり拷問したりしている。楽器が拷問器具に使われている。
(音楽や楽器とボスについて、とても深い考察を読んだことがある。それをサマリーして伝えたくもあるが、文字数がいきすぎてしまう。やめておく)
罪深い人間は、獣のようになるということか。動物「失礼な!」「勘弁して〜」。
割れた卵はもろい人間の身体や体内を表す。にしても、どんな表情か。想像力は乏しくないつもりなのだが。ボスが何を言いたいのか、全くイメージできない。本当にぶっとんでるよ。
さすが、こんな細かい描きこみをできる人物だ。どんな方向性であれ、桁違いの精神力をもっていたのは間違いない。
私のお気に入りはこの子だ。オシャレなトカゲの上陸。
念のため言っておくが。ボスは敬虔なクリスチャンだった。異端だとかそういったことではなかった。拍子ぬけするほど単純な言葉になってしまうが……彼は……自由な男だった。
ボスを最初のシュルレアリストと呼ぶ人もいる。芸術のコンセンサスがリアリズムであった時代に、これだけ夢のような絵を描いた人だ。2020年代に生きる私たちでさえ、面食らうほどだ。
混乱を極めた現代社会も、ボスなら、闇と光の世界をクールに駆け抜けよう!とか思うのだろうか。何にせよ。「グロテスク」ともまた違う、不思議な不思議な世界観・価値観・思考だ。彼に魅力されずにはいられない。
私のボスのイメージは、まじめに、こんな感じだ。くせになるというやつ。「チートgifted 荒技wanted」「反則的立ち位置 教科書にない超Badなまじない」「この存在自体が文化財 全国各地揺らす逸品」歌詞もあってる。