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裏口入学と裕福な33人の親

2019年にアメリカで、大がかりな、大学裏口入学が発覚した。全米で注目の的となり、再現ドラマまで作られた。たぶんNetflixにある。

なにせ、イェール  スタンフォード  ジョージタウン  南カリフォルニア……と名だたる大学がそろい踏み。有名女優などにお縄がかけられたのだから。これが、一般大衆に “ウケ” ないわけがない。

シャーデンフロイデの類だろうか。だとして、今にはじまったことではない。

「修道院に戻る」
エドゥアルド・ザマコイス・イ・ザバラ

『裏口入学と裕福な33人の親』事実にもとづいて私が考えたのだが、私も、滑稽なフレーズだと思っているわけだし。


裏で糸を引いていたのは、ウィリアム・シンガーという人物だった。

シンガーの会社は、「我が子の学力に不安を抱えた 裕福な親向けの ビジネス」を行っていた。もはや、それに特化した会社だった。通算、800件以上の “コンサルタント” を手がけたそうだ。

ある程度までの遺伝的優劣は、環境で覆すことができる。これは事実だ。

問題は、それが本人の努力なのか両親の口座残高なのか、だ。

多額の寄付金をつんで、子息を望む大学に入れることは、アメリカで違法ではない。シンガーが用いたのは、別の手法だった。

大学関係者らの中に、それなりの額を受けとって、テストの点数やスポーツの実績を改ざんしていた者たちがいたのだ。


そもそも大学は、人気獲得や資金集めに必死だ。親も、蔓延した受験ビジネスの被害者だとも言える。

セレブ達が、たとえばドラッグ関係で捕まった場合。むしろ同情の声は高く、再起復活できることも多い。だが。財力にものを言わせてチートをしたこと、これを一般大衆はそう簡単には許さない。

自分たちは犯さない罪、厳密に言うと、犯したくしても犯せない罪だ。自らとかけ離れた事情をもつ者に対して、理解や同情をするには、高いイマジネーション能力と広い懐が必要だろう。


留学先としておそらく最も人気のあるアメリカには、常に、世界中から裕福な入学希望者たちが押し寄せる。

それを優遇しない手はないと、とれるところから、どんどんとる。

本国の普通の高校生たち(特に白人の)にとって、希望の大学に入ることは、今やますます難しい。

『Joker』

州外から来る生徒よりも、地元生まれの生徒の方が、授業料が安い。こういったシステムも存在するが。

特に州立大は、納税者の優遇を当前しなければならないし、州からの補助金の関係もあり。


親の心理を考えてみよう。

愛しい我が子に、良質な食事を。みすぼらしくない衣服を。快適な環境を。幸せな毎日を。……当然の気持ちである。

良い学歴も、買えるといわれれば、買ってあげたくなってしまう。根底的な気持ちとして考えれば、誰がこれを批判できよう。

悪いのは、個別の親たちなのだろうか。

ここで「そうだそうだ(高い経済力を活用して何が悪い)」と言う者がいるとして、本当に、全体像がわかっているのか。自分の身の丈を、上には上がいることを、本当に理解しているか。

トップ層で多くの席が埋まる。

国によって割合は異なると思うが。少なくない数の親が、「あなたたち夫婦くらいの資金力では、あなたたちの子は、どんなに優秀だろうが努力しようが無駄」こんなことに納得と同意しなければならないが。

いいのか。


このスキャンダルは、FOX や MSNBC や WSJ や NYTを、連日かけめぐった。

これはきっと、象徴的な出来事だったのだ。

今までも、多額の寄付金による入学の優遇はあった。違法ではなく存在した。どちらも、財力が物事を上書きするという点では、同じである。

バック・ドアだろうが、サイド・ドアだろうが、いずれも正面玄関ではない。


そして、その正面玄関でさえ、開きやすさと経済的優位性とを切り離すのは、難しい。

いわゆる一芸も評価対象であるアメリカなら、スポーツのコーチからレッスンを受けれる子ども/受けれない子ども。日本なら、学習塾へ通える子ども/通えない子ども。など。

繰り返すが。そこに大差まであるかどうかは、わからない。

A塾よりやや高いB塾に通う子は有利だとか、正直、そんなことはない。そのくらいのサポートの差なら、本人の能力や努力量の差の方が、よほど大きい。


高等教育は実力主義を主張しているが、実際は、イコールになっていない。

こうした不平等への根本的な不満が、吹き上がったのかもしれない。完全なる平等などないと、誰しもが理解している。それでも。

保守派とリベラル派の議論の一つは、能力主義そのものについてではなく、それを達成する方法についてのものだ。

保守派は、人種や民族性を考慮するアファーマティブ・アクションは、実力に基づく社会づくりを阻害すると主張。

リベラル派は、その逆で、根強い不公平を是正する手段として、アファーマティブ・アクションを擁護。

このケースにおいて、両者の望むゴールは、実は一致している。


私個人は、どちらかと言うと、ゲタをはかせる制度に苦しめられた側だった。

少数派のアジア人なのになぜ?と思われるかもしれないが、「少数派」の中にもまた、優先や優遇をされる順序があるのだ。いろんなマイノリティーがあり得るのだから、仕方ない。

私がもっていなかったのは3つ。満場一致のかわいそうさ、そういったことを凌駕する実力、そして資金力(より詳しくは、米国の裕福レベルに対抗するほどの資金力。本当に桁違い)。

身の丈にあったレベルへ行って、結果的には、よかったのかもしれないが。それでも。血ヘドを吐くとまでは言わないが、上位を獲得し続けるには、さまざまな苦労があった。試練は、文字通りの勉学だけではない。

自分のまわりの日本人には
・基礎力が足りないのに入学できてしまい、大変苦しんだ末、結局は卒業にいたれなかった人
・課題をこなすことなどができずにリテイクを繰り返し、期間が長引き、金銭的に無理になった人
・環境の変化や人間関係にうまく適応できず、途中で諦めた人
などがいた。

海外の食事で太る?そんな人はいなかった。勉強のし過ぎで、10kg近く痩せた人とかはいた。ストレスからか、若白髪が生えた人もいた。


昨今の米国において、最も裕福な1割の人たちとそれ以外の人たちとの格差は、もはや絶対的なものに。

豊かに暮らせることだけを考えるのならば、親は子息に、シンプルに財産を分け与えるだけでいいはずだ。だが、それだけでは足りないのである。

何が足りないのか。

エリート大学への入学が彼ら彼女らへもたらすのは、そう、名声だ。(日本よりも卒業にいたる道はよほど険しいが、とにかく入学はしたいだろう)

一部の人たちが “実力で勝った自分” さえ金で買っているということを、避難する人たちの中には、友情や愛情を金で買っている人たちがいるかもしれない。


主観だが。

お金がスーパー・チート・アイテムならば、スーパー・チートをしたことで得れなくなるものは、スーパー・バリュアブル・サムシングなんじゃないかとも思う。

負け惜しみにすぎないかもしれないが。自分の行動を決める指針の1つだ。

誰が何に値するかというのが、出身大学の話だけであるはずがない。そんなことは、私のみならず、みんなわかっている。

わかってはいるが……


参考文献の著者、マイケル・サンデル博士は、オックスフォード大学ベリオール・カレッジ卒のPh.D.だ。

ローズ奨学金制度を受けたそう。世界最古の奨学金制度であり、獲得は極めて難しい。

自分が直接知っているPh.Dの人たちの中にも、本当に、“いろんな人” がいるが。

この人は真の実力者だろう。
(レベル高すぎて、正直よくわからない!笑)

お人柄についてはこの動画で。

今回サムネに使った写真は、裏口入学事件とは、関係ない。

アッパー・イースト・サイドの The Mark Hotel が、特別なゲストのために用意した The Mark Restaurant by Jean Georges のヨットだ。海の上でジャン・ジョルジュの食事か。それはそれは、特別なゲストだろう。


参考文献
“The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good?” Michael J. Sandel. Farrar, Straus and Giroux. 2020.

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