シモーヌの場合は、あまりにもおばかさん。----ヴェイユ素描----〈14〉
ナチスドイツの傀儡政権であった当時のフランス・ヴィシー政府が打ち出した、対ユダヤ人政策にもとづいて、ヴェイユは教職を追われた。その身の置き所を失った彼女を、一時期自らの農場で預かっていたカトリックの農民哲学者、ギュスターヴ・ティボンは、後に彼女から託されたノートを編さんして出版し、それをきっかけとしてシモーヌ・ヴェイユの名が広く世に知れわたることになる。
その書物の解題に、ティボンは次のような言葉を書きつけている。
「…シモーヌ・ヴェイユを理解しようと思うなら、彼女の語ったのと同じ高みに立たなければならない。…」(※1)
しかしもし、その「高み」がシモーヌ・ヴェイユの生涯が到達した場所である、というのならば、おそらくきっと他の誰も、その頂きに登って立つことはできないだろう。われわれ「他の者」は誰一人として、彼女の見たものをこの目で見ることはできない。われわれ「他の者」は誰一人として、「彼女の目をもって見ること」ができない。もし、彼女と同じ高みに立つために、「彼女と同じように生きることが必要だ」と言うのならば、われわれ「他の者」は誰一人として、「そのように生きることを望まない」だろう。なぜなら、「その生は、もはやわれわれの生とはなりえないものだから」である。
シモーヌ・ヴェイユの「高み」において、彼女の求めているような意味での「救い」とは、結局のところ「彼女だけのもの」だと言える。けっしてそれを彼女が「自分自身のためだけ」に求めていたものではありえず、むしろ「自分自身だけ」は真っ先に、その救いから排除するものとして考えられていたのだとしても、やはりそれは「彼女だけのもの」としてある。あえて言えばそれはむしろ、「他の誰」をも救いえない。他の誰もが彼女の「高み」を前にして、彼女に置き去りにされたような感覚を覚えてしまうことだろう。彼女自身を救うことをいっさい念頭に置いていない救いが、彼女にしか到達できない高みにおいて、他の誰も救うことができないまま宙に浮いている。
ヴェイユの、彼女自身の「高み」への到達は、すなわち彼女自身の「自力」によるものだった。彼女自身が、そこに「自ら登った」のだ。その「高み」は、他の誰のものでもない。だからもし、われわれ「他の者」らが、「彼女の高み」において何か見出すものがあるとすれば、それは他ならぬシモーヌ・ヴェイユという、「他の誰のものとも全く異なる生の高みがそこにあるという事実のみ」なのである。だからむしろわれわれ「他の者」らは、その「シモーヌ・ヴェイユという、一つの生の高みを目撃すること」において、「われわれ自身においても、それぞれ各々に異なる生の高みがある」のだということに、「気づくこと」はできるかもしれない。その生の高みなるものは、他の誰のものともいっさい似通ってはいないが、それが「生の高みであるという事実」においては互いに共通しているものであると言えるのだということを、「彼女の生」はわれわれ「他の者」に教えてくれるのかもしれない。
(つづく)
◎引用・参照
(※1)ティボン「『重力と恩寵』解題」(『重力と恩寵』所収)
◎参考書籍
シモーヌ・ヴェイユ
『抑圧と自由』(石川湧訳 東京創元社)
『労働と人生についての省察』(黒木義典・田辺保訳 勁草書房)
『神を待ちのぞむ』(田辺保・杉山毅訳 勁草書房)
『重力と恩寵』(田辺保訳 ちくま学芸文庫)
『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(今村純子編訳 河出文庫)
吉本隆明
『甦るヴェイユ』(JICC出版局)
冨原真弓
『人と思想 ヴェーユ』(清水書院)
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