マークの大冒険 「マリエットの伝記」

画像1 古代エジプトの聖牛アピスが埋葬された「セラペイオン」発見のストーリーは、1850年にまで遡る。当時のルーヴル美術館の職員オーギュスト・マリエットは、キリスト教修道院に残されている古文書を回収するというミッションでエジプトへ渡ることになった。
画像2 だが、修道院はお金で譲れるものではないと頑なに要求を拒否し続けた。さて、これからどうしたものか。途方に暮れたマリエットはカイロの城砦シタデルに上り、サッカラの風景をぼんやりと眺め黄昏ていた。この時、彼はサッカラに強い感銘を受け、試しに少し地面を掘ってみたいという気持ちにかられた。
画像3 試しに掘ってみると、石灰岩製のスフィンクスが見つかった。美術商から流れ、都市部の富裕層の間でもてはやされているスフィンクスと同タイプだった。マーケットで出回っているスフィンクスの出所は不明だった。もともとは盗掘者によって発見されたものだからだ。彼らはいちいち発掘場所など記録しない。
画像4 だが、この発見を機にマリエットはスフィンクスの出所がサッカラであることを確信した。そして、彼はふと古代ローマの著述家ストラボンの「スフィンクスが続く道の行く先には大神殿がある」という記述を思い出した。謎と謎の歯車が噛み合う予感。彼の胸は高鳴った。 もしかしたら、この先には……。
画像5 マリエットはルーヴル美術館から預かっていたキリストの古文書用購入資金をサッカラの発掘に投じる賭けに出た。彼の読みは当たり、スフィンクスが次々に地中から出てきた。そして、スフィンクスが出土した道の先には第30王朝のファラオ、ネクタネボ2世の神殿があった。ストラボンの伝承は本当だった。
画像6 マリエットは掘り続け、気づけば1851年の夏になっていた。そして、彼はついに大発見をした。それは、死んだアピスを葬る地下墳墓セラペイオンだった。階段を降りた先には、200mにも及ぶ巨大な廊下が伸びていた。廊下の両脇にはいくつもの埋葬室が備えられており、その天井はドーム型になっていた。
画像7 埋葬室には石棺が置かれていたが、牛のミイラは失われていた。アピスだけでなく人間の埋葬室もひとつだけあり、第19王朝のファラオ、ラメセス2世の息子カエムワセトの名を刻んだ石棺があった。王子のミイラも失われていた。だが、彼はアピスと共に埋葬されることで死後の安寧を期待していたのだろう。
画像8 部屋の数は計24個、花崗岩もしくは玄武岩製の石棺は計20個確認された。安置されていた石棺は、最も重いもので70トンもあった。当初マリエットはキリストの古文書回収というミッションでエジプトに訪れた。だが、セラペイオンの発見という別の成功を収める。人生の巡り合わせとは実に奇妙なものである。
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