安久都智史/とろ火

その人を“その人”たらしめるドロッとしたものを探る「とろ火」という活動をしています。h…

安久都智史/とろ火

その人を“その人”たらしめるドロッとしたものを探る「とろ火」という活動をしています。https://torobibook.com/ noteでは日々の生活を。妻とお子がだいすきです

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最近の記事

小ささの大きさ日誌〜生後10ヶ月目〜

お子が生後11ヶ月を迎えた。いよいよ1歳が近づいてきた。写真を管理している「みてね」というアプリでは、たまに「数ヶ月前の今日の記録」と、写真や動画を提示してくれるのだけれど、このあいだはエコー写真が表示されていた。 ちっちゃい…というか、なんというか。輪郭もあやふやな白黒の写真。妻のお腹のなかにいた存在。触れることもできず、本当にいるのかよくわからなかった。 そんなお子が、いまや目の前をてとてと歩いている。名前を呼んだら振り向いてくれることも増えた。にこにこで抱きついてく

    • 小ささの大きさ日誌〜生後9ヶ月目〜

      お子が生後10ヶ月を迎えた。いよいよ二桁になってしまった。次に桁が変わるのは、8歳と4ヶ月。今は果てしない未来だと思うけど、あっという間なんでしょう、きっと。 だって、10ヶ月も果てしない未来だと思っていた。そもそも、去年のいまごろは、お子は妻のお腹のなか。ちょうど妻が安静を言い渡された時期で、ふたりでなんとか乗り切っていた頃。そこから誕生を経て、ずいぶん遠くまで来た気がするけど、まだこの子は10ヶ月。不思議。 まだ、あっという間、ようやく、もう。時間をいろいろな角度で捉

      • 小ささの大きさ日誌〜生後8ヶ月目〜

        お子が生後9ヶ月をむかえた。あと3ヶ月で1歳になるらしい。こないだ生まれてくれた気もするし、まだ9ヶ月しか一緒にいないのか…とも思うし、「え、この子0歳なの??」と謎の驚きを新鮮に抱きもする。 目の前で元気に遊んでいる小さな存在は、いったい何者なんだろう。変な意味ではなく、ただただ不思議。あなたはどこから来たの? 何億年も繰り返されてきた、ありふれた奇跡がすぐそこにある。僕自身もそう。よくわからない。 このあいだ、歌人の伊藤紺さんが、ラジオで「短歌は自分にとっての“真実

        • 小ささの大きさ日誌〜生後7ヶ月目〜

          お子が生後8ヶ月になった。加速度的に、時間が流れていくのが速くなっている気がする。先月のまとめ書いたの、このあいだやん。 …と思いながらも、そのまとめを妻のも合わせて読み直すと、やっぱり時間が経ったんだなと。あんなこともこんなことも、1ヶ月前はできていなかった。いまは当たり前な顔でつかまり立ちしているけど、先月はおそるおそるやったんやねぇ。 流れ行く日々でも、そのときどきを味わっていけるように。今月も、お子との時間で感じたことを記してみます。 この1ヶ月で、お子の探索範

        小ささの大きさ日誌〜生後10ヶ月目〜

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        • 小ささの大きさ日誌
          9本

        記事

          気まぐれ日記 24.06.09。風に吹かれて、しんどいけど、飄々と。

          妻が5年日記をつけているので、「去年はこんなことしてたって」と話してくれる。どうやら、去年の今ごろは妊婦健診に行っていたらしい。あのときエコー写真でしか会えなかった子は、元気につかまり立ちをしている。もう生後7ヶ月。もうちょっとで8ヶ月。つまりは1歳がすぐそこ。なんとなんと。 思えば、佐久の春〜夏も2回目。水が張られた田んぼに感動したり、稲の伸びるスピードに驚いたり。去年も同じことを感じた記憶はあるけれど、新鮮に出会いなおすことができた。最近は、一面の稲たちが風にたなびく様

          気まぐれ日記 24.06.09。風に吹かれて、しんどいけど、飄々と。

          小ささの大きさ日誌〜生後6ヶ月目〜

          “年”という単位があるからか、なんとなく1年を大きな区切りとして意識してしまう。誕生日や年始などに「今年の目標は?」「こんな1年にする!」という言葉が出てくるように。 そんな意識は、このあいだ生後7ヶ月を迎えたお子に対しても同じなのだけれど、1年という区切りに向けて折り返し地点を過ぎたらしい。え、1歳が近いの? 嘘でしょ? 「いや、あと5ヶ月もあるし。まだまだやん」と冷静になだめる自分を、「なんでやねん!5ヶ月なんて秒で過ぎたやろ!」と激しくツッコむ自分がいる。 そう、

          小ささの大きさ日誌〜生後6ヶ月目〜

          短歌にふれる 十五首目:海の恍惚さ

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 追記)明日から、週単位での更新にしようかと思います。 ――― 今日は佐藤佐太郎さんの歌を。 夜の静けさが満ちている。勝手に夜が浮かんでいたけれど、こうして情景をパンっと浮かばせてくる歌は、やはり心を立ち止まらせてくる。その佇みからは、自分だけの意味が漏れ出てくるから面白い。 なんで

          短歌にふれる 十五首目:海の恍惚さ

          短歌にふれる 十四首目:軽やかに冷や汗をかかされる歌

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 今日は伊舎堂仁さんの歌。ネットで見つけた歌で、『感電しかけた話』という歌集に載っているとのこと。 “狂ってる”ことのなにが怖いかって、狂ってるというラベルが貼られるためには、別の文脈に存在する他者が必要ということで。逆に言うと、ひとり残らず狂っていたのなら、それはもはや“正常”

          短歌にふれる 十四首目:軽やかに冷や汗をかかされる歌

          短歌にふれる 十三首目:死に相対する無心

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 今日も楠誓英さんの歌を。『薄明穹』という歌集に載っている歌。 この歌を読んで、なぜか脳裏に浮かんだのは、「蟻の群れを踏みつける無邪気な子ども」の映像だった。雪に傘を刺す人物に無邪気さはないと思うけれど、「死」という眼差しで見ると、きっと同じ。 蟻を踏む子は、「こうしたら蟻って

          短歌にふれる 十三首目:死に相対する無心

          短歌にふれる 十二首目:鈍さが心地よい歌

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 楠誓英さんの歌。『薄明穹』という歌集で出会った歌。 この歌の周囲だけ、重力が普段の1.5倍くらいになっている気がする。心も身体も、ちょっと下に沈む。ただ、それはいわゆる「沈んでいる=落ち込んでいる」という感覚ではなく、足の裏の感覚がより強く起き上がってくる感じ。 僕たちは、簡

          短歌にふれる 十二首目:鈍さが心地よい歌

          短歌にふれる 十一首目:両端が結ばれるような歌

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 今日も、野口あや子さんの歌。3日目。引き続き、短歌研究社さんから出ている歌集『くびすじの欠片』で出会った歌を。 “ほどける”という言葉が好き。しっかりとした結び目だったという過去が、影のように寄り添っている言葉。堅くぎゅっと結ばれていたのに、空白がうまれ、そこに感情が飛び込んで

          短歌にふれる 十一首目:両端が結ばれるような歌

          短歌にふれる 十首目:痛くて、命綱になる歌

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 今日も、野口あや子さんの歌。引き続き、短歌研究社さんから出ている歌集『くびすじの欠片』で出会った。 希望というには儚いけれど、指の先がたしかにひっかかる命綱、のようなものが胸に芽生える歌だと思う。多分だけれど、死者も生者も含めた「わたしたち」のやわらかいところ。 命綱でもあり

          短歌にふれる 十首目:痛くて、命綱になる歌

          短歌にふれる 九首目:自分を貫く必然性

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 今日は、野口あや子さんの歌を。短歌研究社さんから出ている歌集『くびすじの欠片』で出会った歌。 この歌を見て心に浮かんだものはなんなのだろう…と考えながら、15分ほど空白のエディターを見つめていた。その真っ白にも、色がついたような感覚で。ずっと味わえそうな気がした。この歌の情景を

          短歌にふれる 九首目:自分を貫く必然性

          短歌にふれる:八首目

          このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 今日も引き続き、短歌ムック『ねむらない樹 vol.1』で知った歌を。柳宣宏さんの歌集『与楽』に載っている歌です。 眩しい歌だ。きらめいている。でもこのきらめきって、なんなのだろう。 センス・オブ・ワンダーという言葉がある。レイチェル・カーソンという書き手が残した言葉で、「自然

          短歌にふれる:八首目

          思考の共犯者と手をとりたくて。とろ火のWebができました

          昨年はじめた、「その人を“その人”たらしめるドロッとしたものを探って、迷い、書を読み、語りあう」を掲げた活動「とろ火」のWebページができました。 独学でWordpressをぽちぽちして作ったにしては、とてもお気に入り。細々と5ヶ月くらい戦った甲斐がありました。とはいえ、細かな点を見落としていたり、至らなかったりだと思うので。「ここおかしいよ!」があれば教えてください。 とろ火の活動記録としてはもちろん、ひとつのメディアとしても育てていきたい場所。どうぞよろしくお願いしま

          思考の共犯者と手をとりたくて。とろ火のWebができました

          いい感じの短歌研究:七首目

          このシリーズは、僕が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を考えてみる試みです。日課にしていきたいので、1000字以内。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。 ーーー 今日も、短歌ムック『ねむらない樹 vol.1』で知った歌を。伊藤一彦さんの歌集『微笑の空』に載っている歌です。 この歌を見たとき、ふと松尾芭蕉の有名な俳句が頭に浮かんだ。 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」 いろんな解釈があるだろうけれど、この句では自然や世界の途方もなさが伝わってくる気がする。 ちょうどい

          いい感じの短歌研究:七首目