短歌にふれる 十三首目:死に相対する無心
このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。
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今日も楠誓英さんの歌を。『薄明穹』という歌集に載っている歌。
この歌を読んで、なぜか脳裏に浮かんだのは、「蟻の群れを踏みつける無邪気な子ども」の映像だった。雪に傘を刺す人物に無邪気さはないと思うけれど、「死」という眼差しで見ると、きっと同じ。
蟻を踏む子は、「こうしたら蟻って死ぬんだな」という、生のちっぽけさに近づいている気がする。そのちっぽけさをたしかめているような。死は、すぐそこにある。残酷さでもある無邪気さは、無意識かもしれないが、自分にも向き得るもの。
そして、この歌でも死はすぐそこにある。「死にたるをたしかむる」とあるように、死を忌避する視点はない。自分も含めて、「こうしたら人って死ぬんだな」をたしかめている。その姿は、蟻を踏む子どもと重なってくる。
無邪気さはないと思う…と書いたけれど、もしかしたら似た感情は抱いているのではないか。無邪気さほど軽やかではないが、無心とでも言うのだろうか。「死ぬんだよな、そうだよな」と、たしかめている。
逆に言うと、子どもに対して無邪気さを宿らせてしまったが、もしかすると「死に相対した無心」という点で通底しているのかもしれない。
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