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小ささの大きさ日誌〜生後9ヶ月目〜

お子が生後10ヶ月を迎えた。いよいよ二桁になってしまった。次に桁が変わるのは、8歳と4ヶ月。今は果てしない未来だと思うけど、あっという間なんでしょう、きっと。

だって、10ヶ月も果てしない未来だと思っていた。そもそも、去年のいまごろは、お子は妻のお腹のなか。ちょうど妻が安静を言い渡された時期で、ふたりでなんとか乗り切っていた頃。そこから誕生を経て、ずいぶん遠くまで来た気がするけど、まだこの子は10ヶ月。不思議。

まだ、あっという間、ようやく、もう。時間をいろいろな角度で捉えながら、妻とお子と3人の時間は進んでいく。

もうちょっとで1歳。この1ヶ月のことも、大事に振り返っていきたい。

1と0のプレート。もう置かせてなんかくれません。

最近のお子を見ていると、溌剌としたエネルギーを感じる。元から動きたがりだったけれど、ハイハイの速度が上がり、ひとりで立てるようになり、歩きたそうになったことで、拍車がかかっている。子どもは活力の塊、といろんな人が言っているのは知っていたけれど、こういうことか…と思うようになった。

この活力は、どこに向かっているんだろう、と不思議で仕方がない。

ちょうどいま友人と読み進めている『生きがいについて』(著:神谷美恵子)に、こんな一節がある。

みどり児はべつにそばにだれが見ていなくとも、そしてとくにこれというきっかけがなくとも、うれしくてたまらなさそうに、歌のようなものをさえずり、手足をばたばたさせ、ひとりで笑っている。ただ生きていることがたのしくてたまらないから声をあげて笑っているようにみえる。

『生きがいについて』

お子も、よく笑っている。にんまりしたり、爆笑したり。愛想笑いもあるけど、楽しそうにしている時間は多い。なにがそんなに楽しいんだい、と思うくらい。

でも、「なにかが楽しい」とかではなく、ただただ「楽しい」んだろう。自分の存在を味わっている、みたいな感覚を僕は勝手に見出している。

先月も書いたけれど、お子という個別の存在がどんどん大きくなっていく。

それは困難もつきもので。笑顔と比例して、泣いたり怒ったりの時間も増えた。おなかが減って授乳を求める泣き声は、もはや「苛烈」と表現したいくらいに激しいときもある。あなた、卒乳できるのかい?

こうして喜怒哀楽が表れるようになってきたのは、大きな変化。お子が、ひとりの人間として生きていっている証。その歩みには、おのずとエネルギーが宿るんだろうな。

そんなことを思うから、あなたが満面の笑みで笑いかけてくれると、なんだか泣きそうになるんだよ。

お子 in 洗濯かご

お子のなかに見え隠れする、いろいろなもの。これらを“育てていく“…という意識はないけれど、これらが“育っていく”ことを支えたいな、とは強く思う。

そのためには、僕自身を顧みないといけない。

最近、お子は僕や妻の真似をする。手をパチパチしてたら、お子もパチパチしたり。ぶぶぶ、と唇をふるわせていたら、お子もぶっぶぶぶ…とつばをまき散らしたり。僕らをよく見ているんだな、と感じることが増えた。

先月、中学生くらいの娘さんがいらっしゃる方が、「僕の口癖がうつっちゃったんだろうね、小さい頃から『要するに』ってめっちゃ言ってたよ」とおはなししていた。

目に見える行動を真似して、耳で聞いた言葉を真似して。いつしか、僕らの言動に宿っている価値観たちも真似していくんだと思う。僕らも気づかぬうちに。

それは、正直怖い。沈むことも多いふたりだから。

でも、それは希望でもある。“自分”を諦められないふたりだから。

お子は、お子として生きていってほしい。だったら、僕らが僕らとして生きていこうとしている姿を見せるしかない。喜んだり楽しんだりすることも、悩んだりつまずいたりすることも、大事なこと。

いわゆる“立派な親”になりたくはない。親としてではなく、親という役割もひっくるめたひとりの人間として、一緒に生きていけたらなと思う。

妻目線の9ヶ月振り返りはこちら。


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安久都智史/とろ火
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