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小ささの大きさ日誌〜生後10ヶ月目〜

お子が生後11ヶ月を迎えた。いよいよ1歳が近づいてきた。写真を管理している「みてね」というアプリでは、たまに「数ヶ月前の今日の記録」と、写真や動画を提示してくれるのだけれど、このあいだはエコー写真が表示されていた。

ちっちゃい…というか、なんというか。輪郭もあやふやな白黒の写真。妻のお腹のなかにいた存在。触れることもできず、本当にいるのかよくわからなかった。

そんなお子が、いまや目の前をてとてと歩いている。名前を呼んだら振り向いてくれることも増えた。にこにこで抱きついてくることもある。

“幸せ”に触れるってこういうことか、と思う。泣きそうになる。何回も。

別の涙を流しそうになることも、たくさんある。泣いたことも、たくさん。

この素晴らしい 煩わしい気持ちを
真空パックしておけないもんかなぁ

Mr.Children「Drawing」より

1年を、1ヶ月を、1日を。大切にしていこう、ずっと。

いつのまにか上手にページをめくれるように。あ、このかぼちゃパンツかわいくないですか?

このあいだ、妻のお友達に会うため、お子と一緒にはじめての旅行にいった。お子が景色だったり、食べ物だったりを楽しめるようになるのは、まだまだ先。もしかしたら、いつものお出かけとあまり変わらないのかもしれない。記憶にも残らないだろう。

それでも、一緒にいろんなところに行きたいな、と強く思った。いろんな世界を見て欲しい、いや、一緒に見ていきたい。

何度も書いているけれど、お子はたくさんのことを教えてくれる。それは、お子を通して自分や世界と出会いなおしている感覚で。

友達が、「ことほぐ」をテーマにした結婚式を開いたと聞いた。言祝ぐ。祝福を言葉にする。

お子を通してさまざまに出会いなおすというのは、僕にまつわるひとつひとつを、なにか大きなものが「ことほぐ」ような感覚なのかもしれない。

そんなことを感じる最近。

高原の牧場で缶ミルクを飲むお子。今度は牛さんのミルクをいただこうね。

なんだか、まとまらない言葉を並べてしまっている。この数日間、精神的にしんどい日々を過ごしていた影響もあると思う。久しぶりに底の方をただよっていて、生きつづけることへの恐怖を強く抱いていた。懐かしさすらある、しんどさ。

でも、そのしんどさとさえも出会いなおしていた。生きつづけるのが怖いのに、生きていきたいと思ったこと。生きていきたいと思うからこそ、新しく生まれる恐怖もあるということ。

布団に突伏していたら、お子が頭をよしよししてくれた。「こんな父親でごめんよ」と思った。それより大きく、「ありがとう」が脳内に響いた。

このあいだ飛び込んできた言葉に「今、いのちがあなたを生きている」というものがある。東本願寺の親鸞聖人750回忌御遠忌のテーマなんだそう。

生きつづける恐怖はある。でも、いのちが僕を生きつづけることへの恐怖はない…気がする。不思議な反転。お子を通して出会いなおすこと、ことほぐことは、この反転につながっているように思う。

いまだに親になった実感はないし、目の前の天使は自分の子どもなんだなと、新鮮に驚いている。お子は、僕の遺伝子やたくさんの時間を受け取っている存在。でも、僕じゃない存在。でも、たしかな繋がりはある。別の存在なのに。

きっと、僕が繋がっている結び目はたくさんあるんだろうな。気づいてこなかっただけで。

いっぱいそこに、すでにあるものたちを、ちゃんと受け取れるかな。受け取りたいな。そうやって生きていきたいな。

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安久都智史/とろ火
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