短歌にふれる 十一首目:両端が結ばれるような歌
このシリーズは、短歌に惹かれはじめた筆者が「あ、いいな…」と思った短歌の、「いいな」を味わってみる試みです。日課にしていきたいので、500〜1000字で。直感は見つめ過ぎたら逃げていく。
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今日も、野口あや子さんの歌。3日目。引き続き、短歌研究社さんから出ている歌集『くびすじの欠片』で出会った歌を。
“ほどける”という言葉が好き。しっかりとした結び目だったという過去が、影のように寄り添っている言葉。堅くぎゅっと結ばれていたのに、空白がうまれ、そこに感情が飛び込んでいくような。ふっとこちらの心もほどけてしまう。
空白が生まれたってことは、いま春が来ているんだな。そう感じる心の視点は、大きな視座と足元の視座がないまぜになっている気がする。
春は命が芽吹く時期、と言われることがある。それは確かで、雪の下や土の中で耐えていた植物や昆虫など、なんなら人間さえも、徐々に動き出す季節。そこには、“動”への水流を感じる。
けれど、“ほどける”と同じよう、動き出すということは、それまでは止まっていたということで。“静”が影として存在している。命が芽吹く前に、絶える命がある。循環しているものであって、動き出す活力だけを称揚すると、見えなくなるものがある。
そんな大きな視座が、「あやとり」「またひとつ」という、ちっぽけな、近い視座とダブっていく。
大きな世界を手繰り寄せつつも、小ささが開かれている。両端が結ばれるような歌。
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