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小ささの大きさ日誌〜生後8ヶ月目〜

お子が生後9ヶ月をむかえた。あと3ヶ月で1歳になるらしい。こないだ生まれてくれた気もするし、まだ9ヶ月しか一緒にいないのか…とも思うし、「え、この子0歳なの??」と謎の驚きを新鮮に抱きもする。

目の前で元気に遊んでいる小さな存在は、いったい何者なんだろう。変な意味ではなく、ただただ不思議。あなたはどこから来たの?

何億年も繰り返されてきた、ありふれた奇跡がすぐそこにある。僕自身もそう。よくわからない。

このあいだ、歌人の伊藤紺さんが、ラジオで「短歌は自分にとっての“真実”をうたったもの」とお話していた。

お子を見つめたときの、よくわからなさは、まだ、もしかしたらずっと、よくわからないけど、僕にとっての“真実”なのかもしれない。ありふれているからこその、まばゆいきらめき。今月も、ありがとうね。

おててを入れて、がさごそと。ボールを出し入れするのがお気に入り。

離乳食をもりもりと食べているお子。新鮮な野菜を使っているからなのか、なんでも食べる。いっぱい食べる。苦手の象徴のようなピーマンも、ぱくぱく。新しい食材も、怪訝な顔をしながら食べる。

そのなかで、スプーンをめぐる攻防が起こるようになった。最初の頃は、お口のそばまでスプーンを持っていくと、お子が柄の部分をつかんで、引き寄せるようにして口に入れていた。休憩がてら、ただお口を開けるときもあるけれど、基本は自分でつかむ。

次のステージでは、僕や妻の手からスプーンを奪い取るようになった。引き寄せたときに、離さない。少し強引に離してもらうと、不満そうな声で泣く。そんなに自分で食べたいんやね…と委ねると、スプーンを振り回す。乗っていたお食事ちゃんは散り散りに。僕の黒い部屋着には、カピカピのご飯粒が散見するようになった。

そして現在のステージ。手づかみ食べ。じゃがいものおやきや野菜スティックを、おててでもにゅもにゅして、口に運んでもちゅもちゅ。ご飯はベタつくのが嫌なのか、あまり手をのばさないのでスプーンで。奪われるけど。

この移り変わりを見ていると、お子にとって、「自分の意志でなにかをすること」の大切さが増してきているのかな…と思う。欲求の細分化ともいうのかもしれない。

いままでは「おなかへった!」だけだったのに、いまは「ご飯がいい!」「じゃがいも!」「いまは、お水がいいの!」になった。

これだけ細かく、はっきりした意志がでてきたのに、それを伝えられないのはもどかしいだろうな…。イヤイヤ期(我が家では“やるやる期”と呼ぼうとしている)は、このもどかしさが大きくなることではじまる、と聞いたことがある。

すでに意志があるお子。やるやる期が来たときが怖いけれど、それだけ、お子が“お子”として育っていく証でもあって。それは、とっても嬉しいこと。意志は押し殺さずに生きていくんよ。大きくなってからも、声をあげていきましょう。あなたとして生きるための声を。

ちなみに、あなたのおとうさんもおかあさんも、頑固と言われて育ってきましたのでね。さてさて。

さまざまな食べものが宿りし右手。必殺、このおててでの抱きつき。

生後9ヶ月は、赤ちゃんと呼ばれる時期だろう。でも最近、「赤ちゃんじゃなくて子どもやん…」と思うことが増えた。立ち姿(もう立つようになりまして)だったり、キッチンの扉をあけるスムーズさだったり、スプーンという道具を使いはじめたことだったり。

でも、赤ちゃんと子どもはなにが違うのだろう。

そう思っていると、ある日のお子が、口の周りにべったりついた離乳食を自分の手でとって食べようとしていた。失敗してたけど。その姿に、「子どもやな」と強く感じた。

それは、食欲という生理的欲求に、前述もしたこの子の意志が混ざった感じ。生理的欲求だけだったら、口の周りじゃなく、眼の前のスプーンに手を伸ばせばいいはずで。

でも、やっぱり生理的欲求も強く存在していて、それに振り回されている。眠いけど遊びたくて泣いているのも、同じかなぁ。

そういう様子を見ていると、なんというか、動物的だなとも思う。人間と動物を対比させるのはよくないけれど、子どもって人間的で動物的。野性的、が正しいかも。

野生の人間、って感じ。たしかに、新生児期は人間だと思えなかった。とんでもなく可愛い謎の生き物。それが最近人間になってきた。同時に、野生でもあって。お子を見ていると、その配分が日々変わっていっている。

僕は、子どもじゃない。おとな…がなにかはわからないけれど、僕と子どもをわけているのは、<野性的か否か>はひとつにある気がする。

ちなみに「野性的」をググってみたら、「人工によらないで、自然のままであるさま」とのこと。

青木真兵さんの『手づくりのアジール』という本で、対談相手の内田樹さんが、「身体が一番身近な自然」と言っていた気がする。いろんなものと繋がっていて、コントロールをはばむもの。揺らぎが存在するもの。ころころ変わるもの。ころころ。

変幻自在な人間。それが子どもなのかもしれない。

お子は、確実に子どもになってきている。きっと、楽しいことも、嬉しいことも、哀しいことも、辛いことも、たくさん増えていく。それが生きる意味…と、悩みつづけている僕は到底言えないけれど、それが生きていくことだよ、とは言えると思う。

意志が出てきて、不満を出すようになった。でも同時に、意志が通った満足そうな顔も見せるようになった。

ころころ変わるお子を見ていると、いろんなものに縛られて固定化されてる場合じゃないな、と思えてくる。毎月のように、大切なことを教えてくれますね。先生。来月も、どうぞよろしくお願いします。

妻目線の8ヶ月振り返りはこちら


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安久都智史/とろ火
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