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人は金で時間を買っている

人は金で時間を買っている

たまに、というかずっと考えてることなんだけど、人って「金で時間を買ってる」割合がすごく高いのに、あまりそれを自覚してないよね。

コンビニで弁当買うのだって、ごはん作る時間を金で買ってるわけだし、もっといえばごはん作るための原材料を店で買うのだって自分で農作物育てる時間を買ってるわけだし。仕事で人を使うのだってそう。

いやいや能力を買ってるんでしょ、と思う人はいると思うしその面もなくはないけど、

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死なないために楽しく生きようとしているからまさに命がけなのであって、楽しく生きるためには楽しくなくならないようにしたほうがよく、楽しくなくならないようにするには自由がかなりの部分で必要なんだと思うんです。

経済学部でよかったかもしれないこと

経済学部でよかったかもしれないこと

おれ経済学部卒なのにマーケティングも会計も経済史も何ひとつ覚えてなくて何ひとつ経済学部っぽいこと言えないけど、仕事する上で思考の支えになってるのが「組織は必ず腐敗する」ってことと「物事にはボトルネックがある」っていう超大ざっぱな知識なので、やっぱり大ざっぱな話って大事だとおもう。

社会人になってたぶん10社くらいはあらゆる形で(内部がこうなってるんだなーというのを感じられる程度には)関わってきた

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言葉に事象がないことと、事象に言葉がないこと

言葉に事象がないことと、事象に言葉がないこと

とつぜん考えたけど、おれが「思想」界隈と言われそうな人たちも「アーティスト」界隈と言われそうな人たちも合わないなーって思うのは、どちらも正反対の理由なんだなってことに気づいた。

「思想」界隈と言われる人たち(とわざわざ言っているのはつまりべつにそうじゃないかもしれないからだけど)は、まず「言葉」が先にあってそこに合う「事象」を探してる「ように見える」から。
ひとことで言うと「言葉が軽い」問題。

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自由は常によいものか、自分にとってよいものは一般的にもよいものか、など

自由は常によいものか、自分にとってよいものは一般的にもよいものか、など

>自分はかなり自分勝手で、だから自分にとってよい自由は「当たり前に」他人にとって悪い自由(有害)だ、と思うので、逆にそう思わない人って自分自身をよほど正しくて無害な人間だと思っているのかなあ、とか考えてしまいました。

このこともそうなんだけど、あらゆることにおいて「自分はこれが正しいと思うから一般的にも正しいはずだ」と、「自分」と「一般(『みんな』)」を同一視できる人が昔からうらやましい。 そん

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「頭のいい人たち」のコミュニケーション

「頭のいい人たち」のコミュニケーション

「頭のいい人たち」のコミュニケーションって何で「ああいう感じ」なのかな、って毎度のことながら思ったけど、おれのコミュニケーションも大概くそなので黙っておくことにしました。

そもそもおれが見ているのは「頭のいい人たち」の「コミュニケーションがあれ」な(だからこそフォロワー増えたりして目につく)ひとたちなのでそれを一般化するのはよくない。

ただまあ過去の経験からも「頭のいい人たちのコミュニケーショ

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「それを問題だと認識しなければ誰もそれを問題として考えない」問題

「それを問題だと認識しなければ誰もそれを問題として考えない」問題

「それを問題だと認識しなければ誰もそれを問題として考えない」問題、ってどうやったら人にうまく伝わるんだろうね。

「問題解決能力」と「問題認識能力」って別だよね。解決する能力はあっても認識しなきゃ解決できないから。

問題認識能力の中にもその問題の「大きさ」を正確に認識できるか(多くの場合、それを過小に見積もったり過大に見積もったりすることで判断を誤る)、とかもある。

実際の問題(トラブル)が起

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いま、できないことができるようになること

いま、できないことができるようになること

有害なコメントのない世界を目指し、投稿者に「書き直し」を促すアルゴリズムが動き始めた @wired_jp https://wired.jp/2020/10/04/comments-section-clean-up-let-ai-tell-users-words-trash/

あーたぶん、次は「有害なコメントによるテクノロジーの『過剰な』統制vs『とにかく有害なコメントはなくすべき』派」が起こる

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これがある

これがある

TLで流れてくる広告によくある、「〇〇が××になったら」系の漫画。
「これとこれと合わせたらどうなるか」みたいな意味で「カクテル系」と勝手に呼んでるんだけど、
結局作品ってそういうことなんだよなとおもう。

これとこれを合わせたらどうなるか、と、これがずれていくとどうなるか、と、新たに作ったこれはこれとこれの中間だ、と、これが過剰になったら(もしくは、無くなったら)どうなるか、は、まあだいたい同じ

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深夜散歩できる自由と、出会う自由と、見えない損失

深夜散歩できる自由と、出会う自由と、見えない損失

今こういう状況になる前から、自分はけっこう深夜とか散歩するけど女性の多くはこんなふうにできないんだろうな、というのを思っていたけど今こういう状況でその、自分にとっての「深夜散歩できる自由」はさらに、女性にとって不自由を感じさせるものになっているのかもしれないな、とおもった。

前にもちょっと言ったけど、いまきっとそういう、数値には表れないような「損失」がいろんなところで起こっているんだとおもう。

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システムと、立ち居振る舞い

平時(通常時)は「それでも回っていた」システムが、緊急時には「やっぱり回らなくなった」ことで右往左往し、直接的(今回は「感染」)、間接的(今回は「医療リソース分配の失敗」、「経済」等)に被害が広がる、みたいなこと、これまでに何度もあったような。

そしてきっとこのようなことは何度経験し、反省し、平時のある程度余裕のあるときに改善策を考えたとしても完全に防ぎきることはできない面があるとは思うけど、そ

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いま「一丸」となるべきものの範囲について

いま「一丸」となるべきものの範囲について

「あのウイルス」の話題に対して、「国民一丸となって」ってことがさいきんよく言われるけど、いま一丸となるべきなのは「国民」だけなのかな。

世界的な流行(パンデミック)であっても、結局ひとは「国単位」でしか「一丸」になることはできないし、国家のえらい人がそういう言いかたをしてしまえばそれ以上のことは考えられないような感じ。

たとえばいまこそアーティストと言われるような人たちが発信できるメッセージは

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否応なく世界はつながっていること

否応なく世界はつながっていること

自分や自分の近しい人間や環境のことだけ考えていればいい、と思っている人は多いとおもうけど、否応なく世界はつながっていて世界に都合が悪いことが起こると自分や自分の近しい人間・環境にも被害が及ぶのだ、ということを否応なしに感じさせられている毎日。
さてそれでも自分や自分の近しい人間・環境のことだけ考えていればいいだろうか。

たとえばいまとても便利な生活ができているのはかなりの部分で「中国のおかげ」だ

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ある複数の要素によっていま成り立っている「何か」

ある複数の要素によっていま成り立っている「何か」

さっきシャワー浴びながらいろいろ考えた結果、

ある複数の要素によっていま成り立っている「何か」は、いまそうであるように見えているだけで、その要素が時代の要請、その何かに含まれる層の高齢化、世代交代、国際化等々によってその要素の値が増減することによっていかようにも見え方が変わる、ということのひとつとして、

「日本には新しい形のお見合い結婚の文化が根付くべきだから政府はマッチングアプリに国費を投入

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