システムと、立ち居振る舞い
平時(通常時)は「それでも回っていた」システムが、緊急時には「やっぱり回らなくなった」ことで右往左往し、直接的(今回は「感染」)、間接的(今回は「医療リソース分配の失敗」、「経済」等)に被害が広がる、みたいなこと、これまでに何度もあったような。
そしてきっとこのようなことは何度経験し、反省し、平時のある程度余裕のあるときに改善策を考えたとしても完全に防ぎきることはできない面があるとは思うけど、そもそも自分たちは「防ごうとしてきたのか」っていう。
別にこれは国とか世界とかそういう大きな範囲ではなく、ひとつの会社とかひとつの集団とか知人関係とか自分の手の届く範囲であっても言えることなんじゃないだろうか、とか。
いまこのことについて何かを発することができない、対策を講じることができない、自分自身の立ち居振る舞いすら迷いなく決めることができない人がそれそのものについて悔やむ必要はないとおもうけど、何も考えずやり過ごしてしまえればそれでいい、というものでもないような気はする。
やり過ごしてしまうことでしか対処できない、自分(たち)ではどうしようもないことはあると思うけど。
立ち居振る舞い、ということで言うと、たとえばこどもは大人の立ち居振る舞いを「今こそ」見ているんだな、と思うような出来事があった。
たぶんそれで思ったことをその子は10年後とかに振り返るんだろうな。
それで言うと自分もその「こども側」かもしれない。