riffraff リフラフ

たまに書きます あと電線の写真とかあげてます

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はじめにこんにちは。 ネット上での名前、いわゆるハンドルネームは、大学のころある掲示板で初めて名乗ったriffraff(リフラフ)で今もずっとやっているのですが、諸事情あってゲームで使う名前をaidaにし、その名前でTwitterのサブアカも作ったことから、ゲーム配信ではaidaという名前でやっています。 ゲーム配信をやり始めて1年ちょっと、 「ここがもう少しこうなればいいのになー」 というのを試行錯誤するとき、自分で検索してほかのかたのブログやツールを見つけることで解決に

    • 2024/03/10

      今日も調子が悪くて夕方から夜まで横になって本当にひどいところまでいってたけど、ついさっき(22時前)初めてに近いくらいの感覚で波が引いていくのを感じた。 原因も法則も不明だしすぐまた戻ってくるかもしれないから油断できないけど。 どっちにしろ近日中にはまたやってくるんだろう。 おやすみなさい。

      • 2024/03/09

        毎日つらくて苦しいからとにかく日々を淡々と過ごしていけるようになりたい。 ただただ苦しみから逃れたい。この苦しみがこれからもずっと続くとおもうと気が遠くなる。

        • 今のこと

          心が雨漏りする日には  - 山田亮一弾き語りライブより youtu.be/5BlcqVq5ZmU @YouTubeより 急にこうなっちゃうことが分かっているから責任の生じることができないし、責任の生じることをやりますとも言えないみたいな感じ。 企画とかなんとかって結局は「責任とります」か「責任とってください」でしかないからな。 音がしたかしなかったかのタイミングで必ず後ろを確認したがる人間が、右も左も見ず前に突っ切らないといけないタイミングでしかつかめないものを得ること

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          好きなもの

          ぐるぐる回転木馬が廻っている ロクデナシや傷付いたあの子を乗せて 今更もうその行列に並べない僕は 老いて枯れたようで、たまらなく侘しい 傑作のジョーク / バズマザーズ https://youtu.be/7NVUPaqqGr4 自分はこれが好きだ、ということだけで支えられている自尊心みたいなものはあるんだろうなと思う。 だからその人の好きなものをバカにしたり否定したりすることはその人を否定することにつながりかねないし、慎重になったほうがいいんだと思う。

          2階建ての話

          ある番組で聞いた2階建ての話が面白かった。というか、これこそがいつも自分がもつ「頭のいいひとたち」に対する違和感。 下記は違うところからの引用だけど同じ話。 二階建ての哲学という問題提起をしてみます - 水溜りに映る虹と、風と https://frog-beee.hatenablog.jp/entry/20131127/1385558809 "日本の哲学者は奇妙で、一階に住んで人々と同じふるまいをしているのに、哲学するときだけ二階に上がってくる。ヨーロッパの哲学教室があ

          「観」

          いま日本社会はどういう形をしていて、本当はどういう形に変わることを目指す必要があるのか、みたいな話、さいきん聞かないな。 誰もが何か個別的なことに対する正しさや何かを主張しているだけのように見える。 それも自分の観測範囲が狭くなってしまっただけかもしれないけど。ひとびとの関心がそっちに偏りぎみなのかも。 大きいけど大きすぎない、そういう「観」を、それなりに社会で起きていることなんかとも照らし合わせながら話せる人、今はなかなかいない気がする。

          コスパ タイパ 苦労 勘

          仕事にも「タイパ」を求めるのが結構危ういのは、30代以降は20代のうちにした苦労で食うというルールが潜んでいるからだった? https://togetter.com/li/2023478 #Togetter @togetter_jpより 20代で見えてないルールとして、 ・吸収力、体力は20代が上限。後は右肩下がり。 ・「許され」が付与されるのは20代のみ。 ・年が行くほど生活にかかるコストは逓増。 ・アウトプットの要求は右肩

          コスパ タイパ 苦労 勘

          変わることと友達

          「ひとつの(同じ)仕事」は自分を変えないことを求めてくるから、自分が変わっていくのだとしたら仕事も変える必要があるし変わるほうがふつうなんだろうな、というようなことをふとおもった。 仕事、はもっと大きくいうなら生活様式。 そうなれば必然的に付き合う人も変わらざるを得ないわけだけど、そんな中でも変わらず付き合ってくれる、付き合える相手のことを友達と呼ぶのかもしれない。 変わっても変わらず、もしくは、変わったまま付き合えるのが友達。

          変わることと友達

          考えるべきことと評価

          自分はどうしたらいまよりましだと思えるようになるんだろうなあ、というか自分はどうしたらいまよりましだと思えるようになるんだろうなあと思ってしまう自分をどうにかするほうが大事なのかなあ、みたいなことの方が難しいこと考えるよりよっぽど大事だから難しいこと聞いても考える気にならない。 学者や研究者のひとはたいへんね。 自分自身がそれをクリアできているかはさておき、「期限」までに何かをしなかったことによる他人への自分の中のマイナス評価は「過度」であると自分でも思うけどそれが何によ

          考えるべきことと評価

          ネットの「競合」とかいうちゃんちゃらおかしい話

          たまにネット放送局の競合だからーとか言ってるけど正直ちゃんちゃらおかしいというか、われわれはテレビという巨大な「与党」と相対しているのにネット局とかいう「野党」同士でつぶしあってどうすんの、と思う。 むしろ大同団結してお互いを宣伝しあってパイを広げていくような動きをすべきなのに、小さなパイのままそれを奪い合う構図。 短期的には正解かもしれないけどほんとにそれでいいのかね。 きっとほとんどの人が分からない話だと思うけど。 まあ結局「けんか」って「隣同士」だから起こるわけだ

          ネットの「競合」とかいうちゃんちゃらおかしい話

          才能とか天才とか

          いろいろ考えたんだか考えてないんだかの結果、才能というのは「人と違う」ことから生まれた何かでしかないのではないかな、というのに行き着いた。 だいたい「才能」とは人から呼ばれるものだし、そう呼ばれる時点で「結果」として出ているものだし。「天才」とかもそう。 だからある意味で「才能は誰でも持っている」というのはそうだし、だからといって誰もが「人と違う『才能』を発揮できる」かはわからない。 そもそも発揮すべきかもわからないし。 「天才」も「才能」も、そのときの世の中にとって都

          才能とか天才とか

          この世はROM勢が作っている

          誰もが「(狭い意味での)政治的」になる必要はないけど「(広い意味での)政治」には誰もが無関係ではいられなく、さらに言うとその「(どちらの意味での)政治」も動かしているのは結局いわゆる何も発言せず素朴に生きている人、いわゆるROM勢なのだと思っている。 だからライブ配信とかでも本当に大事なのは「いかにしてROM勢に働きかけるか」で、変な言い方だけどアクティブ勢にはその反応に対して反応してあげればいいだけだけど、ROM勢は静かに見定めてくるので反応のしかたが難しい、というかほぼ

          この世はROM勢が作っている

          日記

          こんなにも安らかな日曜の午後にもあの感情はやってくるので、きっとこれはもうなおらないのだと思う。 自分はその感情がやってきてからその反動としての生きたい、生きなきゃという思いでここまでやってきているので、逆にそのどちらもなくまあ生きてるし生きるんじゃね、というおそらく「ふつうの」人たちのことがもうずっと前から分からなくなっている。 そしてそのまあ生きてるし生きるんじゃね、という状態が幸せの必要条件のひとつなのだと思う。 この(いまの自分のほうの)状態から考えると、人は結

          テレビはみそ汁である論

          毎日のように流れてくる「テレビはなんであんなにつまらないのか」論だけど、「あんたのために作ってないから」で終わりなのよね。 もしくは「あんたがつまらなくないテレビを見つけられてないだけ」。 公共性の問題はあるからがんがん批判はすればいいけど、個人消費の問題に限っていえばさっさと黙ってテレビ捨ててつまらなくないものを探せばいいのにと思う。 つまらなくないものは向こうからやってくるという環境に毒されすぎ。それなりに生きてれば30くらいにもなればつまらなくないものは自分で探さな

          テレビはみそ汁である論

          続•コンテンツとプラットフォーム

          『「コンテンツはユーザーに作ってもらえばいい、自分はプラットフォームを作って手数料を取って儲ければいい」だけのプラットフォームが多すぎる』(要約) 的な投稿を見て思ったこと。 一理あると思うけどそれはプラットフォームを構築する人間の「意志」によるし、むしろだからこそいま自分はコンテンツよりプラットフォームに関心がある。 いま、というよりもしかしたら最初から。 これも前に書いた気がするけど、「よい」プラットフォームがあれば人々は「勝手に」幸せになれるのではないか、というかそ

          続•コンテンツとプラットフォーム