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自由は常によいものか、自分にとってよいものは一般的にもよいものか、など

>自分はかなり自分勝手で、だから自分にとってよい自由は「当たり前に」他人にとって悪い自由(有害)だ、と思うので、逆にそう思わない人って自分自身をよほど正しくて無害な人間だと思っているのかなあ、とか考えてしまいました。

このこともそうなんだけど、あらゆることにおいて「自分はこれが正しいと思うから一般的にも正しいはずだ」と、「自分」と「一般(『みんな』)」を同一視できる人が昔からうらやましい。 そんなこと全く思えたことがないから。

だから「自分はAが正しい(Aであってほしい)と思うけど一般的にはそうでないからBのほうが正しい」というようなことがあるとき、少なくとも不特定多数の場では「自分はBが正しいと思う」と言うべきだと思っている。 とくにそれが「全体に影響を与える」事柄の場合は。

同様に、「一般的にはこうですよね」と言っている人に対して「私はそうではないからそれは正しくない」と言える人も、おそらく「一般」と「自己」を同一視している(そうできる素地がある)、という意味でうらやましい。

うらやましい、というのは、きっとそこにはこれまでそういう考え方に至らせてくれる「恵まれた環境」とか「強い自己肯定(承認)」があったからだ、と思うから。

「自由」はほっといても保障されているものだと思っている、というか、
それすら考えたこともない人が多いんだろうな、だから権力が怖いどころか「悪いこと」を制限するようなことをいくらでも求めてしまうんだろうな、
とさいきんよく考える。

その意味では、今は(手放してもいいと思えるくらい)この上なく「自由」な社会なのかもしれない。

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