言葉に事象がないことと、事象に言葉がないこと
とつぜん考えたけど、おれが「思想」界隈と言われそうな人たちも「アーティスト」界隈と言われそうな人たちも合わないなーって思うのは、どちらも正反対の理由なんだなってことに気づいた。
「思想」界隈と言われる人たち(とわざわざ言っているのはつまりべつにそうじゃないかもしれないからだけど)は、まず「言葉」が先にあってそこに合う「事象」を探してる「ように見える」から。
ひとことで言うと「言葉が軽い」問題。
逆に「アーティスト」界隈と言われる人たち(以下同文)は、
(自分の中ではこの問題において「ふつうの人たち」の多くもこっちにくくられるんだけど、)
「事象」について「言葉」にすることを軽視している、放棄している「ように見える」から。
ひとことで言うと「すぐ人に『考えすぎ』って言う」問題。
事象がまず(そこかしこに)あり、それを言葉にし、そこで思考が生まれる、そのプロセスを間違えないほうがいいし、軽視もしないほうがいいんじゃないかなーという話です。
言葉にし、のところはたぶん言葉以外も入るけど。
事象のない言葉は空疎だし、言葉のない事象はおそらく正確に捉えられない。