ただ「読む」ただ「書く」
皆さん、こんにちは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
緊急事態宣言が全国的に解除される方向になって、早くも都会では、人の往来が戻りつつあるようですね。
経済的にも、社会的にも、この流れは良い方向なのかもしれないです。
ただ、個人的には手放しに喜べませんし、自粛疲れからの反動で、大勢の人が一気に行楽地や繁華街に集中することを考えると、これから第2波が来ると言われている、秋・冬が心配です。
ここで気を抜くのではなく、正しく公開されている情報を自分なりに分析し、感染対策に備えたいです。
さて、noteを始めて1ヶ月くらいの私ですが、連日多くのクリエイターさんが記事を閲覧してくださいます。
本当に感謝の気持ちで一杯です。
ありがとうございます!
また、私も多くのクリエイターさんたちの記事や、写真・イラスト等を拝見することできて、自分の中で、日々成長を感じることができています。
時々感じることがあるのですが、noteだけでなく、多くのSNSで「自分語りすみません」と書かれている記事を見ることがあります。
私は「自分語り」されている記事を、素敵だと思います。
その人がその時、夢中になって書かれた、作られた作品で、その人が「生きている」瞬間を見ることができるからです。
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「フォロワー人数を伸ばす」とか「読んで貰える記事を書く」とタイトルにあるものを、よく見かけます。
ブログを生業にしている方が、今の時代には多いので、閲覧数や拡散力が強いのは当然なのかなと、思いながら眺めています。
それに、多くの人に読んで貰いたいと考える方には、良いアドバイスがたくさん載っています。
「多くの人に読んで貰いたい」という願望で、確かに私の中で、揺れる部分はありましたが、それ以上に自分にとっては、
相手が一人の人間として語る「自分語り」というジャンルは、興味深いし素敵
だと、感じました。
皆さんが「自分語り」のカテゴリーとして、記事を書かれる時に、どのようなことを意識して、書かれているのかは分からないです。
ですが「自分語り」は、その人のその瞬間に感じたことを、その時に最も「これだろう!」と思われる表現で、文章という「見える形」で残されています。
読み手が、書き手の記事にある、その出来事を一緒に考えるのではなく、書き手の思いを「ただ読む」ことが暖かく感じます。
「ただ読む」ことは、その時の書き手に対して、無条件に肯定してくれるものだと思えるのです。
逆に、書き手による「ただ書く」というのも、普段感じられない新鮮さと発見があります。
セルフケア方法の一つで「自分が思ったこと、感じたことをノートに書く」というケアの仕方があります。
私はこれを「ただ書くこと」だと、考えています。
自分が感じたこと、思ったことを、自分が思いつく限りの言葉で表わし、文章として綴られることは、堅い説明文を読むよりも、ずっと読み手の心を豊かにしてくれます。
「あぁ、そう思ったんだね。私も同じようなことを思ったよ。」とか、
「辛かったよね。その時点に私もいたなら、一緒にいたよ。」とか、
そうした感覚を抱けるのは、書き手の「生」が「書くこと」に宿っているからだと、思うのです。
誤字があっても、脱字があっても、よっぽどの間違いが無い限り、皆さんそれぞれが補足して読んでいらっしゃると思います。
そうしたことよりも、「ただ読む」こと「ただ書く」ことで、お互いの「生きる」に関わり、励まし、支え合っているのだと感じるのです。
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noteにはそうした「生きる」に一所懸命なクリエイターさんが多く、記事や作品を見ていると、「私が私を生きること」を勇気付けられます。
「ただ読む」「ただ書く」でも、人を勇気付けることができるのです。
人間の「読む」「書く」には、無限の創造があるのかもしれないですね。
私自身、世間が言う「読みやすい文章」で書けてないと思いますが、誰かが記事を読んでくださって「ああ、私もやってみたい」とか「私もこのお題で書いてみよう」と思える、きっかけくらいにはなれたらいいなと、思いました。
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トップ画像は 日々ひみつ様 からお借りしました。
ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
皆さん、いい創作活動を!
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