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『「いいね!」戦争』を読む(17)SNSは「承認」が最大の目的の件

▼前号では、「フェイクニュース」という言葉が広まっただけでなく、「フェイクニュース」の「定義」そのものが変えられてしまったきっかけが、アメリカ大統領選挙であり、なかんずくトランプ氏の行動だったことに触れた。

「フェイクニュース」は、もともとの「真実でないことが検証可能なニュース」という意味から、「気に入らない情報を侮蔑(ぶべつ)する言葉」、つまり、「客観的」な言葉から、とても「主観的」な言葉に変貌を遂げてしまったのだ。(210頁)

▼こうしたオンラインでの傾向は、客観的な「事実」が、主観的な「意見」に変わってしまう流れをどんどん後押ししている。

別の角度から言えば、SNSを使う人の目的は、「情報伝達」ではなく、「承認」なのだ。(214頁)

上記の頁数は、『「いいね!」戦争』から。

▼ちなみに、2019年7月11日現在で未だレビュー0件。

▼既成のメディアから離れて、ソーシャルメディア「だけ」に接するのは危険だ。

2016年のアメリカ大統領選挙では、リベラルな人も、保守的な人も、既成メディアよりもソーシャルメディアでニュースを読むことが多かったそうだ。

結果、〈どちらのグループもそれぞれのパラレルワールドにいるようなものだった〉そうだ。(212頁)

今日も、どこかの国で、似たような光景が繰り広げられているかもしれない。

「あれ、これってパラレルワールドじゃねえか? お互いに対話になってなくねえか?」と立ち止まってニュースについて考えるためには、何の新奇さもない意見だが、「新聞を読む」ことだと筆者は思う。

▼〈同類性はオンラインでは避けられない〉(198頁)のだが、本書は、その行き着く先を、繰り返し、論理的に整理している。その一つの表現として、

「アイデンティティメディア」(特定のアイデンティティに基づく集団の代弁者となるメディア)

と呼ばれる、オンラインの新種のメディアが、人の脳を支配し、跋扈(ばっこ)する現況を描く。

▼ネット記者のジョン・ハーマン氏は、ジャーナリズムよりも、アイデンティティメディアのほうが強力であると、2014年に書いていた。適宜改行。【】は文中傍点。

アイデンティティメディアにとっては、「ジャーナリズムらしくするあらゆるものが障害になる。論調、公正さ、事実への忠実さ、結論をめぐる前後関係などだ」と。

「これらの投稿は記事というより、むしろ、フェイスブックのシェアによって元の文脈から切り離された政治的前提だ。

一見きちんと分析しているようだが、実際は結論ばかり並べ立てる。見出しの後は議論するのではなく暴露するだけだ」(215頁)

だから〈2016年、ソーシャルメディア上のリンク全体の59パーセントが、それを共有した人に【一度もクリックされなかった】ことがわかり、研究者たちは衝撃を受けた〉そうだ。(214-215頁)

▼リンクの半分以上が、共有したのにクリックしない、ということは、SNSの中の「共有」は、ほとんど生物学的な「反射」の次元の話になっているのではないか。

▼また、そんなソーシャルメディア環境に囲まれたなかでバカにならないためには、「文脈を読む」のが大事だということがわかる。それは「空気を読む」のとは似て非なる精神だ。

▼ハーマン氏の指摘するアイデンティティメディアの特徴は、とても興味深い。1300字を超えたが、今日は少し続けよう。

客観的な「記事」ではなく、文脈無視の主観的な「前提」であったり、

客観的に「分析」しているようで、主観的な「結論」を並べ立てたり、

客観的な「議論」のように見せかけ、主観的な「暴露」ばかり。

これらのアイデンティティメディアの特徴は、たった今、日本社会で誰かの不祥事や、自分の理解能力を超えたニュースにぶち当たった時、馬鹿の一つ覚えのように「自己責任論」を声高に叫んだり、リツイートしたりして満足している人たちの脳の動きと、似ているのかもしれない。

▼その問題から自分だけ都合よく排除して、逃げられない人に向かって安全圏から匿名で結果論を押しつけ、正義を訴えたつもりになっている、噴飯物(ふんぱんもの)の貧相な自我。

その貧相さを覆い隠すために、SNSで必死に「承認」を求める無限ループにはまって、他人への攻撃と他人からの評価に何十年も左右され続け、一度しかない人生のかけがえのない時間を「反射」のトレーニングと「感情ポルノ」に浪費して、後には何にも残らない、尊い自分の無駄遣い。

スマホの奴隷になって、死ぬ直前に奴隷の現実に気づいて、ああ、私の人生はスマホ会社とSNSの運営会社を儲けさせただけの人生だった、と無限の悔いを抱えたまま死んでいく人が、これから増えるかもしれない。

その老残の姿を、もしかしたら未来の自分かもしれないと想像したり自戒したりする精神を鍛えることもないまま、「自己責任」を叫び続けた自業自得だと嗤(わら)ってスマホに没入する、新しい世代の貧相な愚か者も出てくるかもしれない。

▼おそらく、スマホやSNSは、「自己責任」の思想と親和性が高い。

因果関係はわからない。しかし、相関関係があることは間違いない。

膨大な「感情」をパワーに変えて、「脳」の仕組みを活用して、「わが国」の「戦争」の勝利に導く戦略と戦術が、各国で磨き抜かれている。(つづく)

(2019年7月11日)

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