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神理/哲理

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#修行

悟りを得て修行に望む段階に入ったとしても新しい知識を謙虚に吸収し続ける姿勢は失くしてはいけないと感じます。

オーラや後光は全ての生物が発している生体電子エネルギーの総量。正しい修行の末、後光が差した仏像の様に全ての人間はなれる。

結局 地味で地道な日常を熟さなければ不成。行を行おう では無くそう思う間も無く常に行うべきもの。行い続けるもの。

最高の歓喜であり最大の苦行とはいつ如何なる時も唯我と自らの真理を自然体で貫く事である。

神道はシントウではなくカミノミチが真。自然信仰は前提としてあり行法を知り始めてカミノミチは始まる。

行法を知り意識の矛先を知らなければ社会という生き物と共存している限り自己の悪魔を完全に断ち切る事は不可能。瞑想をする事は修行ではない。行法とは幾つもの自己身体的意識とバランスを構築する事。

練習時間で区切る者。日常の全てを行と化している者。差は歴然。

ただ瞑想したり滝に打たれるだけで気を自在に扱える様になるなら空海や釈迦はそれ程神格化されていない。後光は細胞に凝縮される知識と気の総量により生まれる。