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『モヤモヤしている方必見⁉』ニートは社会にとって悪なのか?について明確な答えを解説

▢まえがき

なぜ、今回いきなりニートに関しての記事を書こうと思ったかいうと、私自身はニートになったことがまだ一度もありませんが、TwitterやYouTubeでニートの方を観察していると

楽しているように見えてかなり葛藤や肩身の狭い思いをしているのだなと(労働の義務を放棄しているから当然!と考えの方がいるのは承知していますが…)

そして、ニートに関して『俺たちは一生懸命働いてるのにけしからん!』『甘えてるんじゃない』YouTubeのロシアの街頭インタビューでは、おばあさんが『息子が家で酒飲んでニートしてるから、徴兵されて戦争行って欲しい』まで

息子や他国民の命の危険があるのに消えて欲しいバリなことを言っていて、まぁ…お国柄、思想観念や生活保護などの国の救済措置の違いや精神疾患についての一般人の認識が違うので何とも言えない所ですが

生産性がない者は足を引っ張っているとか、価値がないという一貫した認識に疑問を呈するのと

現在ニートの方やニートが身近にいる方、ニートの存在が何となくムカつく方などのモヤモヤ感を払拭の為に筆を持った次第です。


〇ニートの定義


ビジネスマン風ニートのイメージ図↑

ニートの発祥はイギリスで、就学就労していない、又は職業訓練も受けていない若者15歳~29歳をさした意味でNEET(ニート)という言葉が作られました。

そのニートっという言葉が日本に入ってきてから、厚生労働省作ったニートの定義はイギリスと大体の意味は同じで、15歳から34歳のケガも病気も含めた家事も学校も仕事もしていない、非労働人口をニートと指します。

ここで疑問が2つ湧いたかと思いますが(確証バイアス的な思考ですみません)

34歳以上の働いていない人たちはなんて呼ぶのか?と、病気やケガで仕事や家事が出来ないのは仕方がないのに、なぜニートに分類するのか?について

34歳以上で家事、就学、仕事をしていない人は無職となります。

ではなぜ病気やケガの人もニートに含まれてしまうのか?は、ニートの数に関して統計を取るにあたって病気やケガを証明することが難しい場合が多いという理由が挙げられます。

あなたはなぜ仕事をしていないのですか?とアンケートで聞いた場合に、素直に働けるけど働いていません!と答える人が大半ならば良いですけど、後ろめたさから、病気を持っていて…などと答える人が増えた場合

一人一人診断書をもらって調べる訳にも行きませんし、かといってそのままだと、結果的に統計に狂いが生じてしまう可能性が高いという理由で、病人だろうが、就業意欲があろうが、今何らかの生産活動をしていない人を一括りにニートと分類されたようです。

ちなみに同じ日本の政府機関でも厚生労働省と内閣とではニートの定義が微妙に変わって、内閣府は独身の就学していなく、収入を伴う活動していない15歳から34歳をニートと定義しております。

なので独身じゃなくなった瞬間にニートではなくなります。

そして家事をしている人は、既婚者ではない限りニートに分類されてしまうとい所で

どのニートの定義を当てはめるか?は人次第ですが、とりあえず仕事をしていない若者という認識で間違いないかと思います。



◇ニートへの一般的に多い見解



私なりに様々なブログ記事やYouTube、周囲の意見を聞いてニートについて多い見解を5つまとめてみました。

・大人になっても働かず、親に経済的負担をかけていて倫理的に悪だとする人

ニートは労働と納税義務を放棄した社会悪とする人

・ニートの親がニートの為に生活用品や食料を買ったり消費を促し、健康保険料を納税しているから社会的にOKという人

・そもそもニートが良いとか悪いとか他人の尺度で決めること自体間違ってるという人

・社会全体で見れば日本のニート率は3%行かないぐらいで少なく(↓情報ソース)自己責任で放っておけば良いとする人

・ニートを生み出してるのは日本の閉塞的な教育や社会、経済のせいだとする人

などです。

これはもう、各々どこに重きを置いて生きてるか?の違いだと考えます。
大人になったら一生懸命働いて結婚して子供作って親孝行するという、昔ながらの儒教的や道徳的価値観に重きを置いてる人であれば、ニートはそこから外れているので害悪に思うでしょう。

日本をもっと良くしたい!社会の為になること、地域、会社、家族など集団の中で有意性を個々で発揮し、助け合うのが人としての務めである。という全体主義的な考えに重きを置いているのならば表面上、ニートは全体の足を引っ張っているように見えると思います。

あと最近では、元にちゃんねるのひろゆき氏の影響で、ニートは働かない貴族ばりに親や働いてる人が税金を払って養ってくれてるのと、ニートでも電気を使ったり、ご飯を食べたり、YouTubeの広告見たりして消費を促してるから、ある意味自由?を求めるモノにとって究極の生き方として肯定的な意見も見受けられるようになりました。

そして、そんなことを議論すること自体がおかしい!無意味だとする人も存在し、ある一方の価値観でその人の存在を否定する必要性がないと、誰でも大なり小なり他人に迷惑をかけて生きてるし、生きてる限り、その人に生きて欲しいと思ってる人や同じ立場の人の役に立っているとする人

日本人は勤勉だと海外でイメージされますが、確かに数字的に見ても働いてる人の割合が多く、学校を卒業した若年層で働いていない人の割合がどの統計を見ても一桁前半と少なく、10パーセント台のヨーロッパなどと比べて、状況は違えど働いていない方が圧倒的に少ないのと

生活保護の受給者が高齢者や何かしらの病気を抱えてる人がほとんどで、それに該当しないごくわずかなニートの為にそこまで考えるのが不毛であり、もし将来困ったとしても誰しもそうであるように、その人の選んだ道で自己責任なので好きにさせといた方が良いとする人

そもそも、日本の教育が協調性を重んじ、みんなで同じことをして評価されるように個人の個性を伸ばさない、全体主義的で用意された事柄で結果を出せない落ちこぼれを作り出す、そして後期高齢化社会で社会保険料、税金、物価が上がり、収入は増えない、頑張っても豊かになる実感の湧かない閉塞的な日本社会がニートを生み出しているという、社会への鬱積した思いをニートを介して発散させる人


◆ニートは悪にも善にもなる



どこに自分の人生的価値観に重きを置いてるか?の違いでニートに対する考えも変わってきますが、その社会の置かれている状況によっても集団を維持する上で、ニートが悪とも善ともなることを解説したいと思います。

まず結論から申し上げますと、日本の今の状況からニートは善になると私は考えております。

『お前!実は自分がニートだからニート贔屓びいきなんだろ?!』と画面に向かって、突っ込み入れた方が3人ほどいるかもしれませんが…(一応働いております)

そもそも、ここでいう善悪とはなにか?についてですが、生命、自由、幸福を追求する憲法第13条に基づいて、ここが旧ソ連やベラルーシとかならば、ニート罰金法(半年で3万円の罰金)や社会寄生駆除法なるものがあり

働かないと違法となってしまうが、ここは日本で、しかも現代にそんな自由を無視した法律がある国のが珍しいので、日本国憲法の基に勤労義務など違反しているとはいえ

ニートの自由を奪える法的拘束力や罰金は今の所ない訳で、窃盗などのように問答無用の悪とは言い難い。

むしろ、ニートや生活保護の人が存在することで、普通に働いている人の、ある種の精神的安定をもたらしている部分もあると思います。

いやいや、自分はあんな風になりたくないよ…全然精神的な安定なんかしない!…とお思いの方、ではもしここがニート率0%(ほんとかよ)の北朝鮮だったらどうでしょうか?

ニートになることが許されない、ニートが成立しない国というのは,
その人が一回社会のレールに落ちた瞬間ゲームオーバーになるスーパーハードモードの社会です。

日本のように『ひょっと半年間ぐらいニートしようかな~♪』なんて若者が言おうものなら、国の為に勤労することを拒否する非国民と判断され、国家反逆罪で密告されて強制労働所送りになるか、農村などでは働いてても人でも満足に食べれないので、労働力がない消費するだけの存在になった瞬間に

家族はその人を支えていたら自分たちの命も危なくなると、下手したら口減らしで追放されかねない

落ちた瞬間ゲームオーバーになる恐怖のある国と現代日本社会のレールから外れた場合で比較すると、日本の場合、命がなくなったり、仕事が今後一切出来なくなる訳でもない

ただ国がニートでも大丈夫です!と言っても、ニートの存在が確認出来ない。負傷兵は国に帰れると言われたが、その後負傷兵たちがどうなったか誰も確認出来ない、戦争中のどこかのZ国のように

仮に政府の名目上ニートOKでも、ニートになった瞬間にニートが消えて行く社会だったら?心の平穏は訪れづらいと思います。なぜならニートになった瞬間に自分もどうなるか?わからないからです。

自分がニートにならなければ良いだけの話しじゃん!と、お思いの方いるかと思いますが、ニートではなく精神疾患ならば病気なのですから障害年金をもらって療養すれば良いだけで、真面目な人ならニートにならないという考えも分かりますが

しかし、特に心身、社交性どこも悪くないけど前の会社を辞めてから実家から通える仕事を探してたけど、段々と生活がだらけて来て、仕事を探すモチベーションも下がり、気づいたら何もしない月が出来始めて

知らないうちにニートに認定されてた!パターンというのがわりとあり得ると考えます。要は

自分では気が向いたら仕事を探してるし、将来働く意欲があるから今は充電期間ということで、親が若くて持ち家でもあればそこに甘えてぶらぶらしてるだけの時期みたいのが若気の至りと言いますが

若さと時間が沢山あるが故に出来てしまう時期がタイミングによっては誰にでもあり得ることで

その時期に働いてる時に目の前の仕事でいっぱいいっぱいで見えなかったものや、何か新しいモノが見つかり、ニート時代を将来に役立てる若者もいると思いますし。無為に過ごしてオッサンやおばさんになって行くのも一つの人生でしょう。ただ

一度でも道から少しでも外れたら完全に戻って来れないという社会を証明しない為にニートが生存している状態というのが、今を働く人たちの精神的クッションになるとか思います。

確かに自分は税金を納めているのに何をぬくぬくとひきこもってるんだ!とムカつく方もいるかもしれません。

でも、ニートが存在しない国、あるいは社会の中で有意性(存在に社会的意味が多いもの)生産性が低いものを淘汰される世の中になれば、下から順に更に生きづらくなって行きます。

例えば、ニートはフリーターよりお金を稼いでないから要らないよね。と独裁者が勝手にニート強制労働法を作り、ニートが社会から居なくなったという前例が仮に出来てしまうと

誰かと比較して、誰かは国のお荷物だから消えてよし!という思想をOKすることになります。ニートが居なくなった後は服役中の囚人や

フリーターは正社員よりも税金納めないから、戦争になったら真っ先に前線に行き!法案が可決されるなど、ここまで極端で露骨ではなくとも

命を測りにかけるような世の中に少しでも傾けば生きづらくなるのは私たちだと考えます。

ならば生産性がなかろうが、クソ野郎だろうが犯罪しない限り、だれしも平等に家でご飯食べて寝て、歳を重ねて行くことが出来る自由が保障されている方が、生きて行く上でも精神衛生上良いとも考えます。

その命を測りにかける前例を作らないという証明がニートの存在になるので、現代社会においてニートは善だという結論に到りました。

では先ほど説明に出た、最貧困国ではどうでしょうか?

例えばニート一人養うのにロクに飯が食えていないカツカツの労働者への食糧分配を減らしてしまうと、働いてる人の中で病気や栄養失調で離脱する確率が増え、全体の生産力は下がり、余計に食料やお金が枯渇して倒れる人が増えてしまう。

薬や医療道具の少ない孤立した戦時の前線で、助かる見込みがない負傷者や前線復帰出来るまでに時間と医療コストのかかる負傷者を最優先にしてしまうと

まだ治療すれば何らかの形で戦える負傷兵の治療が後回しになり、戦力が減り、余計に犠牲者を増やすのと同じで、ニートに必要なものを与えることで全体への影響が出てしまい、集団を維持する上で不利が傾いて行ってしまうような状態であれば

集団社会を維持して繁栄させて行く観点だけで見ればニートが悪になってしまうかもしれません。ただそこから社会が成熟して国民が生き残るだけではなく、幸せを求めるようになれば、先ほどの解説にも出たようにニートが善にもなり得るというのが私の持論です。


▢ニートは減らすべきか?増やすべきか?とニートの社会復帰方法までを解説



減らす意味もさほど感じられませんし、ニートを推奨して増やす必要もないです。

社会現象で爆発的にニートが増えない限りは今の割合を多少前後する水準で維持していても問題ないと私は考えます。ただ個人として家族でニートが存在すれば

親や家族の負担や本人の将来の面を考えてニートを社会復帰させたいと思うのは普通のことだと思います。ただ本人に社会に復帰することで起こりうる欲求や希望がなければ

いくら自覚させようと強制した所で義務感で働いてくれる可能性は低いのと、社会で働いて自活するにはある一定の社会的な筋力が必要で

仕事をせず、親に生活を見て貰う期間が長ければ長くなるほど、その社会的筋力が衰えてしまい。その状態でいきなり社会に放り出してもすぐに潰れるだけです。脳筋に聴こえるかもしれませんが、多少の筋力のリハビリが必要です。


リハビリ通り越して屈強になったニートの図

要はニートが社会復帰するに至る内的動機が必要なのと、いきなり普通に働いてきた人と一緒の負荷を与えないというのが肝要になってきます。

では具体的にどうすれば良いのか?ですが、自宅の中でちょっとした労働体験を作って報酬を与えて見るというのも1つの手かと思います。

車の洗車をしたら3千円あげるでも良いですし、買い物にいってくれたらありがとうと言って駄賃をあげる等、それで本人が『働かなくても良いや!』と満足してしまうと問題ですが

もっとこのお金を増やして〇〇が欲しいとか、人から感謝されたい欲求が芽生えれば、誰か知り合いの仕事を手伝わせてもらうなり、短時間のバイトから初めてみるなりして社会的筋力が少しずつ養われていくと考えます。



あとは同じ状況から社会復帰した元ニートの成功体験を肉眼で見せるのも、本人の心に良い刺激を与えることで、ただ気を付けないといけないのは

めちゃめちゃ順当に上手く行って高い所まで昇り上がった元ニートは見せると自分との能力の違いに愕然としてむしろ自己肯定感が落ちるので

そこは良い塩梅の方を探して見せると良いのと、そしてもしも社会復帰が上手く行かなかったとしても、本人が戻ろうと挑戦したことを認めて褒めてあげた方が挑戦することで人が認めてくれる場面もあると認識出来るのと

失敗をして責められたり、落胆される恐怖から挑戦を過度に恐れることも今後の人生で減って行くかと思います。本人が挑戦する意欲がある限り、何度挫折しても失敗ではないと私は捉えます。

ということで、回はこの辺で終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。
そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね!(●´ω`●)

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