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聞くこと 言葉と気持ちと人生を

尊敬する社会学者のリポストしたつぶやきに頷いた。
激しく同意というより「うん」「ほんまに」とじわじわ頷いた。

やさしい人ほど黙ってしまい、
気にする人ほど気にして何も言えなくなる時代かもしれない。
 
なにかを言えばマウントだハラスメントだ、
昔の話をすればロートルだ古参マウントだ。
なんでそうなるのかなそう言われちゃうのかなあ。
と、いつも考えてしまうのは己も若くなくなったからかもしれない。
でもそれだけじゃなく、コスパとかタイパとかいう言葉が出来る
つまり重要視されるような時代と時勢だからかなあ、と思ったりもする。
誰かの言葉に耳を傾ける時間もだがそれ以上に気持ちの余裕がないくらい
しんどい時代や世の中だからか。
そこにネット、つまりSNSがあり、
目に見える(見えやすい)「数」が常にあり、
何かを言うとすぐにジャッジがされる速度も吊し上げも身近に起こるからかな。
お気持ちとかお気持ち表明とか、
そんな言葉だけはたくさん出来るのだけれど
そうして安全なところから人のことを笑ったり笑うことでつながったりして安心していたいというのもあるのかな。
自分語りという言葉もよく言われて、
なぜか悪いイメージで使われているせいもあるのかもしれない。
ネット上でも「自分語りでごめん」っていうのが枕詞になりがちで、
それもなんか違和感というかおかしいというかかなしいというか、
そう思うわたしはおかしいというか少数派なんやろうか。

嫌いな言葉や苦手なしんどい言葉だらけだ。
なにか言うと主語がデカいとかいう言葉も嫌いだ。
でも、それらは、それらも、その通りかもしれないとも思う。
そもそも話すこと、それも自分のことを、
自分の気持ちや考えを話すことは、簡単なはずで、
簡単だが、同時に、とてもこわいことだったりむずかしいことでもあるのかもしれない、そもそもだ。
 
その上で、いきなりだが、言いたいので、言う。

「わたしは、聞きたい」

これも言葉が違うかもしれない。
でも、よければ、聞かせてね、と、いつも思っている。
どんなこと、どのようなこともだ。
とてもむずかしいっていうか、ヘヴィなことだともわかった上で。
いや、わかりきってないな、でもな、でもね、だ。
そうしてきたし。してきたつもりだし。だから嫌なこともいっぱいあったり誤解されたりもしてきたりだから不安や臆病にもなるけれどそれでもね。
 
最初に言う。
逆効果なことを言わせてほしい。
わたしは聞き上手ではない。
えーっ(笑)
興味があったり熱を感じるとつい面白すぎて相槌を通り越してこちらもめっちゃ喋ってしまう、口を挟むどころじゃなく。
同時に、気が短い。しかも、わりに曲がっている自覚もある。
「うぜぇな」「それ、聞くのん●回目(※無駄な記憶力あり)」
「これ、この話、だいぶ盛ってる?
(いい意味で、それは本人にとっての意味でも)話半分で聞いて、全部信じたりせんようにしながら、聞いた方がええかな(馬鹿にするとかの意味じゃなく)」と思うことも多い。
あまりに一方的というかよくもわるくも偏っている(疑いもせずに偏っている)話だと嫌とか嫌いじゃなく怖くなる。鼻についた後にこわくなる。
うれしいときも、逆に真逆なときも、つい茶化してしまったりもする。
「大丈夫やで」っていう本人からしたらきっと無駄だし聞いてももらえないだろうし必要ともされへんのにどうしても励ましたいとかの余計なお節介で無駄なことも言ってしまいもする。
ほんまに聞き上手ではない。
そもそも楽しかったり嬉しくなったり、
肚の底から「すげー」ってときは、めっちゃ伝えたくなる喋りたくなる。
知ってることは「伝えなきゃ」ってすぐなってしまう。(これもよくないとも自覚しながら)
聞き上手どころか話し上手でもない全くない。
 
でも、わたしは、あなたに興味がある。

興味があるという言葉もむずかしいな違うかもな、欲みたいやな、いや欲やな。
でも決して欲からだけじゃないねん、なんかこれも嘘くさいけれど。でも。でも聞きたい。
 
相談事とか真面目なこととかそういうのだけじゃない。
しょうもないこと、しょうもないと思うやろうことでも。
好きなものも。これまでのことも、
他では言えないこと……はハードルが高いかもしれない。が、言うてええなら聞いてええんなら、なんでもだ。
酒があろうとなかろうと。酒の席でもそうでなくても。
例えば聞いて「えーっ、わたしはそうは思わん」「やべー」「それはちゃうんちゃう?」だとしても「でもそう思うんやなあ、ほな考えてみよう」の気持ちだ。
そのひとの気持ちや考えていることは例えば自分とは合わなかったりもするかもしれない、けれど間違いではないというか、それを間違いとして決めつけたりよく考えたり聞いたりする前に排除することはぜったいにおかしいもの。

言葉。気持ち。それがその人(あなた)だと(も)思うから。
むかしのことだって今のその人(あなた)に繋がっているんだし、それは人生で、つまり今だ。あなただけのもので、あなたにしかない、あなただ。
 
冒頭のツイートを見て思い出したのは、あるおっちゃんだった。
ある件に絡めて人生というか半生? を聞かせてくれた。
「僕みたいなおっちゃんの話、おもろいか?」「めっちゃええと思う! おもしろい!」
「そうかぁ? なんや僕だけが喋って悪いなあ」「ぜんぜん。めっちゃすごい。嬉しい」
いつもみんなのことやまわりのことをみて、考えている、
ということはおくびにも出さずにへらへらしてにこにこしているひとだ。
 
元新聞記者でエッセイストの師匠ははっきりと言う。 
「自分を語るから(聴いて・読んで)面白いんやんか」
「生の声」、自分の言葉、借りてきたきれいな言葉じゃなく。
「自分の言葉で語るのが大事やん」
だってね。
「その人はその人以外他におらんねんで」
ほんまやで。
そうじゃないと、いろんなことが、始まりもしないんじゃないかなとも考える。
みんな違ってみんないい、それはそうだけどそうじゃない。
みんな違うからややこしいし面倒臭ぇっていうかおそろしい、
でもみんな違う、ほんまに違う、いいわるいじゃない、みんなその人で、そのひとはそのひとしかおらんし、人はいいも悪いも同じ人はおらん。
だから。だからね。聞きたいな。もし、ええなら、なんぼでも。
わたしはわたしもへたくそだけど。へたくそなりにだ。

 

何度か書いてきたことをリポストをきっかけに


最近のnoteを中心にタイトルにサブタイトルを付けたりしてみました。
わかりやすく(よくもわるくも)なったかも笑。

* 
1日noteやなくぼちぼち更新にしょーかなー、
軽いのん毎日よりもちょっと長めのんを何日かでにしようかなー、
の気持ちも今なくはないのですがこれも未定。
仕事や連載やちょっと気合いを入れたい大きな原稿を優先しながら、ぼちぼち書くかな。

◆◆
【略歴や自己紹介など】

構成作家/ライター/エッセイスト、
Momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。

旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。

普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。

劇場が好き。人間に興味が尽きません。

舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。

某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中。
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Webマガジン「Stay Salty」Vol.33巻頭に自己紹介エッセイを寄稿しました。

12月Vol.34からは不定期コラムコーナー「DAYS」も書かせていただいています。

東京・湯島の本屋「出発点」では2箱古本屋もやっています。
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読書にまつわるエッセイ集(ZINE)、
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旅と思索社様のWebマガジン「tabistory」では2種類の連載をしています。
酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在20話)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)。

noteは「ほぼ1日1エッセイ」、6つのマガジンにわけてまとめています。

旅芝居・大衆演劇関係では各種ライティング業をずっとやってきました。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
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こちらのバックナンバーも、さきほどの「出発点」さんに置いていますよ。

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