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本能寺の変1582 【 重史 016 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【 重史 016】『信長公記』

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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【 人物 】 
*加筆修正 

【 重史 016】 ◎第1話  ◎小

さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、   『信長公記』

 天正十年六月二日、未明。
 世間の誰もが予期せぬことであった。

  さる程に、不慮の題目出来(しゅったい)侯て、

  六月朔日、夜に入り、丹波国亀山にて、惟任日向守光秀、逆心を企て、
  明智左馬助(秀満)・明智次右衛門(光忠)・藤田伝五(行政)・斎藤内蔵
  (利三)、是れ等として談合を相究め、

  信長を討ち果たし、天下の主となるべき調儀を究め、
                          (『信長公記』) 

            →【 重史 017】漸く、夜も明け方に罷りなり侯。



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