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本能寺の変1582 【 重史 015 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【 重史 015】『日本史』

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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【 人物 】 
*加筆修正 

【 重史 015】 ◎第51話  ◎小51~小52①②

この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。

                        『日本史』

 坂本城は、明智の誇りであった。
 フロイスは、次のように言っている。

  そして明智は、都から四里ほど離れ、比叡山に近く、
  近江の国の二十五里もあるかの大湖(琵琶湖)のほとりにある
  坂本と呼ばれる地に邸宅と城塞を築いたが、
  それは日本人にとって豪壮華麗なもので、
  信長が安土山に建てたものにつぎ、
  この明智の城ほど有名なものは天下にないほどであった。
                           (『日本史』)



 ⇒ 次へつづく


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 「本能寺の変」
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