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みんな裸だった。
ヌーディストクラブに行った。
散歩してる人も、
芝生でピクニックしてる人も、
ジャグジーに浸かってゆったりしてる人も、
テニスしてぴょんぴょんしてる人も、みんな裸で、それがここでのnorm(普通)だった。
騒ぎ立てるようなことは何ひとつなかった。
はずだった。
私以外は。
そう。
普通でなかったのは、私だけだった。
私だけ裸ではなく、水着を着ていた。
水着を着て、読みもしない本を小道具(目のやり場)として持っていった私はとっても恥ずかしかった。
後にも先にも、「服を着ていて恥ずかしかった」のはあの時だけだ。他のみんなが服を着ていれば、私は恥ずかしくなかったかって?
もちろん。
”Clothing Optional"
服は着ても着なくてもOK
「裸になるかならないかは、君の自由
だから君が気にすることはない。
他のみんなも気にしないから。」
大丈夫だからって何度も説得されて、
同行する決心がついたのだった。
好奇心が羞恥心に勝った。
僅差だった。
カリフォルニア、トパンガキャニオンにあるElysiumという名前の会員制ヌーディストクラブ。
ウディ・アレンなら5分で逃げ出すほどの青い空の下、人間の手が入っていない自然の中、
生まれたまんまスッポンポンの姿で過ごす。
私を連れて行ってくれた会員のフランクに言わせれば、これほどrelaxingな空間はない、
これ以上自然なことはない、と。
わかりました。本当にそうです。
でも。
あんなに緊張したこともなかった。
だって。
目のやり場に困るでしょ。
あんなもの、こんなものがあっちこっちにモジャモジャブラブラしてたら、見ないわけにいかない。(テニスは本当にやりにくそうだった。痛そうだった。)
何を見てもいいけど「じいっと見つめる」のだけはタブーだというフランクの教えを守るのは、、無理だった。
動揺を隠すため(それも無理だったけど)
気がつくと私はお喋りになっていた。
ジャグジーに浸かりながら、
好きな食べ物のこと、出身地のこと、家族のこと、などなど喋り倒して、
真っ赤にのぼせた顔で辺りを見回したら、
お喋りだったのは私だけではなかった。
「医者だとか、弁護士だとか、スーパーの店員だとか、ステータスなんて関係ない。
ここではそんなことで人を判断しない。
大事なのはその人そのものだ」
裸の人たちは熱っぽく語ってくれた。
アメリカの社会では「人と出逢う」ことがどんなに難しいことかと。人種(肌の色)、社会的地位、出身校、職業から住んでいる地域まで、綺麗に色分けされた社会では
「その人そのもの」に出逢うことがいかに難しいことかと。
ヌーディスト=乱行パーティという偏見と闘いながら、周辺住民の理解を得ながら、クラブを存続させることは並大抵の苦労ではなかった。それは今も現在進行形だと。
(そうだったんだ!)
それでも私たちは、ここを守りたい。
このスピリットを守りたい。
1968年の設立当初のヒッピー世代から親子代々メンバーだと言う人、家族ぐるみでメンバーだと言う人も少なくないのだと。そういえば、Elysiumという名前にはFamily recreationという一言が付いていたっけ。
よくわかりました。
そんな歴史が、文化があったとは、、
知りもせず興味本位でついてきた自分が恥ずかしくなったくらい。
帰る頃には、
周辺住民に睨まれ、家族ぐるみで代々「変態呼ばわり」されてまで裸になっている人達を尊敬する気持にさえなっていた。
そして、裸になるのは大変だと思った。
裸になるのが大変だなんて、
それまで思ったこともなかったのに。
人は一体いつの時代から、一体何歳から
裸になるのが大変なことになったんだろうって、思った。
ふと
この人達は
人を識別する象徴としての「服」を脱ぎ捨てて、
スッポンポンになったら、
今度はとっても不安になってしまって、
共通の言語をみつけたくて、それでお喋りになってしまうのかな、と思った。
この人達が本当に脱ぎたいものは「服」ではないのかも、と思った。
色々考え過ぎて、ヘトヘトになった。
自然の中で、いちばん自然な姿(裸)で、自然な(裸な)人達と、自然な交流を楽しむには、私はちと不自然過ぎたのかもしれない。
どうだった?
楽しかったね、また行こうねって、
フランクに言われた時、
すぐに答えられなかったことを覚えている。
Elysiumという名前のそのクラブは、
今はもう無い。
33年の歴史は、2001年に途絶えてしまった。
Elysium
ギリシャ語で「理想のシアワセが住む場所」という意味だという。
理想のシアワセを探していたあの人達。
今、安心して裸になれる場所はあるのだろうか。アメリカのどこかに。
追記:
10年ぶりにフランク(民族的分類で言えば、彼はネイティブアメリカン)と話したら、カリフォルニア、リバーサイドに似たようなクラブがあるのをみつけたって。
コロナ騒動もひと段落したから、今度はそこに通うのを楽しみにしているんだと。
社会的しがらみが無いから、
最高にリラックスできるところ。
これって日本人にとっての温泉と同じでしょ?
って聞かれたけれど、、
答えられていない。