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わざとじゃ無いのに

しょうもない奴の、しょうもない話。
でも時に、それがしょうもない奴にとってかけがえのない体験になる、という話。

それは、夕食に招待された時のこと。
30歳過ぎて入学したサンフランシスコのArt Schoolで知り合った友人が彼女の実家に招いてくれた時のこと。Thanks Givingだったか、誰かの誕生日だったか、名目は忘れてしまったが、異国でひとり暮らしの私への心遣いが嬉しくて、何日も前からギフトを用意して準備万端、

の筈だった。

直前になって、悪い癖が出た。
「着物を着て行こう」と欲が出たのが、運の尽き。喜んでもらおうと思ったのが、時間配分ミス。

友人の実家はサンフランシスコ郊外だったから、車を持っていなかった私は、ダウンタウンから電車を乗り継いで行くしかない。(日本のように数分置きとはいかない、1日数本しかないという不便さ。)慣れない着付けに思いの外手間取って、既に汗びっしょり、全速力で走って裾もパックリ開き、ほうほうの体で駅まで駆けつけたが、その時点で既に1時間以上の遅刻になっていた。

携帯など無い時代だったから、公衆電話を探して途中から連絡したけれど、駅で私を待っていてくれている友人、さらに実家で料理を用意してくれている彼女のご両親のことを思うと、電車の中で走り出したいくらい。口の中はカラカラなのに、汗は止まらなかった。

せっかくの夕食を台無しにしてしまったことを何と言って謝ろうか。いや、もし待っていてくれなかかったらどうしよう。オロオロしながら駅を出て、彼女の車を見つけた時の気持。あらん限りのゴメンナサイを並べながら駆け寄った私を迎えた彼女はニコニコと笑っていた。

意外だった。

私の言い訳をひと通り聞き、ゆっくりと読みかけの本をたたみながら、「大丈夫よ、本が読めたから、気にしないで。」と言った。

耳を疑った。

2時間近く遅れたのに、怒らないの?どうして?と言う私に「だってわざとしたことじゃ無いのに、怒ったって仕方ないじゃないの。」

まじまじと見た。
言葉が私の頭に入ってくるのに数秒かかったが、彼女が無理や我慢をしたりしていないことはその笑顔から読み取れた。

すごい。
その時も、そして今でもそう思う。

そう言われたからとて、すっきりするわけもなく、いや、むしろ身の置き所がないくらい反省しつつ着いた彼女の実家では、待ちくたびれたお父様にこっぴどく怒られ、平身低頭して謝ったことを覚えている。

その日私のせいで遅くなった夕食は、沁みる美味しさだった。彼女のお母様手作りの味も、怒られなかったことも、怒られたことも、とんでもなくありがたかった。

しょうもない奴の、しょうもない話。
でも、あの言葉は今でも私の中に残っている。
あの時の彼女の顔と声、そっくりそのまま。

「わざとじゃ無いのに、怒ったって仕方ないじゃない」

なかなか言えるもんじゃない。
30年も経っているのに、こんな言葉すっと出てくる人間に私、まだなれていない。

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