日記を書きます。書けたら投稿します。

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オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームに行った

オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームライブの当日。 水道橋駅の周りは、縦縞のユニフォームを着た人で溢れていた。 僕はいつも着ているコートの内側に、3601と書いてあるTシャツを着ているだけの恰好だったから、 ユニフォームを着ている人たちの中で浮いていたと思う。 リストバンドは付けていたけれど、何となく恥ずかしくて隠していた。 開場より少し早く着いたからご飯を食べようと思ったけど、どこも並んでいて入れそうになかった。 すぐ入れそうな店を探して、はなまるうどんにした

    • ポケポケの先が見えてない(自分の中で)

      ポケカのスマホゲーム、いわゆるポケポケをやっている。 最初は本家と違うルールに慣れなかったが、今では楽しくプレイしている。 モンスターボールと博士の研究が投入されていればデッキとして成立するので、色々なポケモンを使うことが出来るところがいい。 カード効果についても、本家ではありえないランダムサーチ効果やランダム攻撃効果があり、本家のルールを踏襲しつつもデジタルTCGっぽさも出してくる感じが素晴らしいと思う。 カード効果も、本家と比べてかなり下向きに調整されている。 博士の

      • 本当は平坦な道を歩んでいるだけ

        本当のことを本当のままにすることは案外難しい。 それは、本当のことを本当のまま受け入れるということが難しいという心理的ハードルの話でもあるし、本当のままに受け入れられるということの恐ろしさへの無意識下での抵抗の話でもある。 人生には本当のことなんて必要がない可能性すらある。 どんなに意味がない欺瞞と分かりきっていることだって、それで心が救われるのならば、それは必要になる。 本当のことと必要なものはイコールにはならないし、むしろ本当のことは遠ざけられることの方が多いのかもしれ

        • 趣味に生かされている

          去年の今の頃の写真を眺めてみたら、ずっとパチスロを打っていた。 何なら朝から並んで打っていたりしたけれど、今ではもうすっかり行かなくなった。 そもそも、一年前にはまだオードリーのオールナイトニッポンin東京ドームが開催すらされていない。 本当にこの一年、私の周りは目まぐるしく変わっていったと思う。 たった一年前の話なんだけれど、一年前に自分が何を考えていたのかなんて想像出来ない。 年を取ると時間の流れが早いなんて言うけれど、そんなことないんじゃないかな。 少なくとも、私に

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          個人的に良すぎるコンテンツが渋滞していたので全部紹介する

          最近、個人的に良すぎるコンテンツが多すぎたので、まとめて記事にします。 ・佐久間宣行ANN0番組イベント 良かった。 現地行きたかったなぁ。現地がとても面白そうだった。 いつもラジオイベントに参加する度に思うんだけど、ラジオ聴いててイベントに来て、グッズまで買うモチベーションまである人って、こんなにいるんだなぁ、と思う。 この前のラジオを聴いてて「そういえば佐久間さんの魅力って何だろう」って考えていたんだけれど、佐久間さんの魅力はこういうイベントをやっても嫌味に見えな

          個人的に良すぎるコンテンツが渋滞していたので全部紹介する

          ダイエットアプリ始めてみた

          ダイエットアプリを始めることにした。 形から入るタイプなので課金もした。半年分もだ。 大した値段では無いが、使わなければ無駄になるのでプレッシャーにはなる。 (続くモチベーションになるとは言っていない。ジムとかも金だけ払って余裕で行かないタイプの人間なので) ダイエットアプリはすごい。 何を食べたかを入力すれば、カロリー脂質タンパク質の配合とその他栄養素を計算してくれる。 入力については、「お米」とかタイトルを適当に入れれば検索してくれるし、買ったものを食べる場合はバーコー

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          お金の使い方が難しい

          世の中便利なもので、大抵のものは金で買える。と思う。 しかし、世の中便利になりすぎていて、もう何が買えるのかは、分からなくなってきている。 インターネットがあることによって、飛躍的に買えるものは増えた。 「どこで買えるんだよ」みたいなものが世の中にはたくさんあるが、全部インターネットに売っている。 その中から自分にとって価値があるものを見つけるのは難しい。 私は飽きっぽいから同じ物にお金を使い続けるようなことが出来ない。 どこかで飽きてしまって、長続きしない。 それに、性根

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          明日はパチンコをする

          色々あってnoteが更新出来なかったんです。 更新期間空いてすみません。 色々の話は気が向いたらそのうち話すし、ずっと話さないかもしれない。 このnoteは好きな時に好きなだけ書くとは言っているけれど、流石に半年ぐらい書いていると、読んでくれている人には報いたいという気持ちがある。 これからも定期的に気が向いた時に書きますので、よろしくお願いします。 久しぶりに明日は暇なので、用事をちょっと済ませて、大きいリュックを買ったら、あとはギャンブルをしようと思っている。 パチン

          明日はパチンコをする

          鳴きを受けた時の考え方を考えてみた

          鳴きを受けて対応する時には、以下の二つが大事だと最近悟った。 ・ホンイツがあるかどうか ・自分の手牌が押せる形になっているか この二つの要素について、説明していこうと思います。 ・ホンイツがあるかどうか 鳴きの強みは、手が早く進行するからアガりやすいこと。 弱みは、リーチが打てず食い下がりもあるから打点が高くなりづらいこと。 打点がある鳴きというのは鳴きの弱みを打ち消してくれるから、非常に強力だ。 高い手を早くアガることに越したことはなく、鳴きは大体この用途で使うの

          鳴きを受けた時の考え方を考えてみた

          キングオブコント2024を見て思ったこと

          遅ればせながらキングオブコント2024を視聴したので感想を書こうと思います。   点数以上に、順位ごとの差はあると思った。 概ね点数がつきそうな感じがする順に並んでおり、安定感のある採点だったと思う。 ただ、その分意外性はなかったとも感じる。 これは「意外だな〜」という感覚だけで点を入れない審査員陣の構成によるのかなとは思った。 全員現役で舞台に立っているような審査員陣だからこそ、見方によっては無責任な採点は出来ないんだろうと思う。 ここはM-1と明確に違うと感じた。 この

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          一年前と変わった事と続いている事

          ふと、一年前自分がどうだったかを考えていた。 一年前は、まず、このnoteがなかった。 このnoteは今年の3月に作ったような記憶がある。 引っ越してなかったし、Vtuberも見ていなかったし、家にピアノも無かった。 麻雀も全然やっていなかったし、ポーカーも多分やっていないし。 じゃあ何をしていたかというと、大体パチンコパチスロ、その辺りだ。 正直、何もしていないに等しかった。 たった一年前のことなのに、その時何を考えて生きていたのかが全く覚えていない。 本当に何もない

          一年前と変わった事と続いている事

          有料記事の感想を極力ぼやかして言う(特定されたら消す)

          これは有料コンテンツの話だからあまり具体的に話すとまずいんだけど、とある記事を読んだ。 感想としては「エンタメとして完成されている」だった。 エンタメとは面白いことが絶対だ。 そして、それが多くの人に伝わることを目的にするのならば、分かりやすいことは絶対的な条件になる。 とにかくその記事は分かりやすかった。 しかし、どう見ても正しいとは思えない記事でもあった。 正しさとは何か? それは分かりやすさの犠牲になった様々な些事である。 私は「分かりやすいものは正しくないものでも

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          殺されるのならAIがいい

          少し妄想をします。 ある朝、AIからスマホに通知がある。SMSだ。 文面を読む。「あなたの代わりにはAIがあるから、あなたは必要ない」というようなことが、回りくどく書いてある。 これ以上生きていても限られたリソースを無駄に使うだけだから、生存は許されない。 今すぐ速やかに最小コストで死ぬことがAIの導き出した最適解であると判断された為、いますぐ死ぬ必要がある。 私は人を殺すのに一番良いとAIが考えた方法で死に、死体は一番良い方法で処理される。 火葬場というよりも、工場のよ

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          怒りながら、無菌室にて

          最近、批判的な言説を見るのが苦痛になってきた。 根拠が本人の頭の中にだけあるような言説は、取るに足らないのは分かっているんだけど、それでも苦痛だ。 こういう苦痛に対して、反射的に怒ることが出来ればどれほど楽かと思う。 アンガーマネジメントとして6秒我慢するなんて話を聞いたことがあるけれど、あれはただ内側に入っただけで消えているわけではない。 怒りは内側に入り込んで、悲しみや劣等感と混ざり、最終的に何とも言えない澱みになるから、良くない。 瞬間的に発散する人はそれはそれで欠

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          応援する行為をどうすれば「良い」のだろうか

          応援するという行為は、一体誰の為に、どうなれば「良い」のだろうか?ということを最近考えている。 応援するという行為は自分は何もやってないのに自己肯定感が上がるという現代において強いアクションであるのに対して、応援されるというのは常にありがたいわけではなくて、その非対称性をどのように咀嚼すれば最適なんだろうか? 応援する側は、応援しているという免罪符があるから、何をやってもある程度は肯定される。 それは、世の中で応援は善き行いであるという認識が浸透しているからだ。 多様性の

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          ずっと穏やかな日々でいいのに

          ホロGTAの配信を見ながら風来のシレンと麻雀をやって、疲れたら寝て、飽きたら散歩して飯食って酒を飲んで寝る生活を3日ほど過ごしていた。 もちろん昼夜は逆転したし、徹底的に他人を排除した生活で、客観的にはとても無駄な日々かもしれなかったけれど、とても穏やかだった。 ホロGTAは、簡単に安直な言葉で言えば、とてもチルい企画だった。 他人の生活を覗き見ている感じで、ながら見するのにとても適していた。 飽きたら別の視点に移ればいいのも、良い。 今回の記事ではホロGTAにはこれ以上

          ずっと穏やかな日々でいいのに