趣味に生かされている
去年の今の頃の写真を眺めてみたら、ずっとパチスロを打っていた。
何なら朝から並んで打っていたりしたけれど、今ではもうすっかり行かなくなった。
そもそも、一年前にはまだオードリーのオールナイトニッポンin東京ドームが開催すらされていない。
本当にこの一年、私の周りは目まぐるしく変わっていったと思う。
たった一年前の話なんだけれど、一年前に自分が何を考えていたのかなんて想像出来ない。
年を取ると時間の流れが早いなんて言うけれど、そんなことないんじゃないかな。
少なくとも、私にとってはこの一年、とてつもなく長かった。
一年前、杉並区某所の狭くて汚い部屋で、どん詰まっているような感じがしていて、今は険しい道を進んでいる感じがするから、行き止まりから脱出して山を登り始めたということなんだろうか。
この一年、私は険しくても山を登っていたい人だということに気づいた。
世の中には色々な人がいるけれど、自分がどういう個性を持っているかということをあまり気にしたことはなかった。
ガチで自分を高めたいとかそういう訳ではないけれど、平穏で安定したところに留まることも出来なくて、やんわりと何かが上達していきたい人間なんだということを認識している。
その中に自己啓発も含まれているけれど、それだけではない。
私がRPGをあまりやらなくて、アクションとかローグライクをよくやるのは、自分がゲームが上手くなっていく過程が楽しいからだ。
これはカードゲームの話でも、麻雀の話でもある。
カードゲームではアグロより少し遅いぐらいのデッキを使いたいし、麻雀では立直をしたい。
最近、立直率が22%で「高くね?」と気づいたけれど、それでもクソみたいな立直を曲げている。
だって立直したいし。
自分に合わないことをしていると、メンタルに悪いことはこの一年で分かったから、自分に合うことをしようと思っている。
自分に合うことってなんだろうか?という段階は超えて、分かんないからやってみようという開き直りに辿り着いている。
これは決してポジティブな話ではない。
何もやらないと腐っていって、多分そのうち死ぬから、生きるためにやっている。
そんでもって一年前は死んでいたんだと思う。
趣味ってそういうものなのかもしれない。
食事とか睡眠とか、そういうのと同列に感じる。
そういう趣味に生かされている感謝を忘れないようにしながら、趣味を堪能しようと思っている、この頃でした。
それと、最近鶏肉をよく食べているので、ニワトリにも感謝。
ニワトリの供養をしている場所ってあるのだろうか。行ってみたいな。
こういう「行ってみたいな」という気持ちに生かされている。
花譜×ケンモチヒデフミ - しゅげーハイ!!!