有料記事の感想を極力ぼやかして言う(特定されたら消す)
これは有料コンテンツの話だからあまり具体的に話すとまずいんだけど、とある記事を読んだ。
感想としては「エンタメとして完成されている」だった。
エンタメとは面白いことが絶対だ。
そして、それが多くの人に伝わることを目的にするのならば、分かりやすいことは絶対的な条件になる。
とにかくその記事は分かりやすかった。
しかし、どう見ても正しいとは思えない記事でもあった。
正しさとは何か?
それは分かりやすさの犠牲になった様々な些事である。
私は「分かりやすいものは正しくないものでもある」と思っている。
例えば、CMを見ていて、とてつもなく小さな文字で注釈が付けてあるのを見たことがあると思うんだけれど、あれはCMの内容には一部嘘が含まれているということが書かれている。
嘘をつくのは正しくないことだ。
しかし、それは広告宣伝の為に必要なことでもあるし、その嘘により広告効果が生まれ、それが社会的な価値を生むことは十分に考えられる。
正しくないものから生まれたものが正しくないという訳ではない。
「分かりやすいものは正しくない」なんて潔癖する気もするけれど、これは事実でもあると思う。
分かりやすいということはシンプルであることで、実際の物事は複雑だから枝葉末節を削ぎ落さなければならない。
この枝葉末節の落とし方こそが人間の強みであると思う。
演者は演じなければならないが、ただ演じるだけではその人である意味がない。
件の有料記事は、枝葉末節の落とし方が非常に美しかった。
前提条件を詳細に説明することもないし、事情というものを考慮することもなかった。
それと、自分の主観で書いたものをあたかも客観的なように書くことが本当にうまかった。
主観的な意見は書いた本人にも責任があるが、客観的事実だとすれば、それは本人に責任がないという理屈。
これはネットニュースの見出しなどと同じ理屈だ。
誤解を招くような見出しを書く人間は、恣意的な表現を用いて客観的な事実を捻じ曲げ、バズりそうな意見だと思わせてクリック率を稼ぐ。
このような主観と客観のすり替えなんかは、典型的な正しくない行為だと思うのだが、こういうことが巧みな人間の説明ほど分かりやすくなるなぁと思った。
今、課金制のコミュニティはいたるところに存在している。
課金でしか読めない文章、見れない配信、聴けないラジオ、色々だ。
こういう課金制のコミュニティは分かりやすさをある程度犠牲にすることが出来て、その分枝葉末節が除去されない、私のいう「正しい」状態になるように見える。
ただ、その集団内での自浄作用というものは殆ど無いようなものだから、結局社会に適合出来ないような集団になる。
結局、正しいものってどこにあるんだろうか。
そう考えると、ギャンブルでお金が無くなるのが一番正しいような気がするんだよな。
ギャンブルで負けるということだけはデメリットしかないから、これ以上に正しい状態は無いような気がする。
いつもより更に書きたいことが全くまとまりませんでした。
書いてみて思ったけど、
・正しさと分かりやすさ
・クローズドなコミュニティ
・絶対的な正しさは敗北にある
みたいな書きたいテーマがごっちゃになってしまっている。
これは日記なのでそのままだけど。
オードリーANNのブルーレイの話とか、シレン6の話とか、それこそホロライブの話とか、麻雀の話とか、色々ネタはあるんだけれど、そういう具体的な記事を書くのはちょっと怖いので、こういう抽象的な感じになりました。
次回、やる気があれば、クローズドなコミュニティとして二郎の例を挙げて、自分が好むクローズドなコミュニティの理想を書きたいと思います。
全然違う記事になる可能性も十二分にあります。
よろしくお願いします。
ここで一曲。
俺、全然世の中を知らねえんだけど、ダンス上手い人ってこんなに上手いんですねとなった動画。
世の中ってマジで広いしすごい。
Ayumu Imazu - BANDAGE