明日はパチンコをする
色々あってnoteが更新出来なかったんです。
更新期間空いてすみません。
色々の話は気が向いたらそのうち話すし、ずっと話さないかもしれない。
このnoteは好きな時に好きなだけ書くとは言っているけれど、流石に半年ぐらい書いていると、読んでくれている人には報いたいという気持ちがある。
これからも定期的に気が向いた時に書きますので、よろしくお願いします。
久しぶりに明日は暇なので、用事をちょっと済ませて、大きいリュックを買ったら、あとはギャンブルをしようと思っている。
パチンコかなぁ。もちろん競艇でもいいんだけど、無性に確率のみで左右されるようなギャンブルがしたい。
もし日本にブラックジャックが出来る合法カジノがあれば、そこに行きたいけど、そんなものはないので、やっぱりパチンコ。
私は嘘食いという漫画が好きなんだけど、その中でも2つ好きなセリフがある。
これを自分の頭の中で勝手に組み合わせると、「人生に向いている人などいない」ということになる。
本当に文脈も何もなく勝手に組み合わせているんだけど、自分の中ではこれは結構しっくり来る。
ギャンブルもそうだし人生もそうだけど、生まれた瞬間から向いている人なんて誰もいなさそうだ。
人生というものを細かく見ていけば向いているものと向いていないものがあるかもしれないし、それは生まれた瞬間に決まっているということは十分に考えられる。
だけど、「生きることが勝利であり、勝負の連続」という価値観で考えれば、人生はギャンブルであり、ギャンブルに向いている人間なんて存在しない。
ギャンブルとは勝つか負けるかで、常に勝つことは出来ないからだ。
ギャンブルは勝つ時は運で、負ける時には理由があるものだから、無粋な言い方をすれば結局運だ。
我々庶民に出来るのは、負けないようにすることだけで、勝つ為には運が必要なのがあらゆるギャンブルというものだ。
(その運の上振れが人の脳を揺らす)
もし常に、運が良く、勝つことが出来る人がいれば、それは「ギャンブルに向いてる」のだろうけれど、そんな人間はいない。
そんな人間はいないからこそ、嘘喰いという漫画は面白い。
結局、私たちは全員向いていないことをやらされている。
だから、人間というのは群れることが出来るのかもしれない。
向いていないことを共有して、その中でもお互いに出来ることと出来ないことを補い合っているから群れるし、人間は地球で一番繁栄しているという訳だ。
勝った負けたのゼロサムゲームじゃない世界は、ギャンブルではなく、本質ではないのかもしれない。
もしかしたら、仮初だったり欺瞞だったりするのかもしれない。
だけど、そういう世界に生きることこそが「向いている」ことなんじゃないかと思った。
少なくとも、私にとっては。
こういうことを噛みしめたいから、明日はギャンブルに行く。
勝っても負けても、どっちだっていい。
勝ったとしても向いている訳でもないし、負けたところで向いていないものをやっているんだから、どっちだっていい。
ただ、運に振り回されたくなった。
349分の1のくじを引くことに向き不向きなんてない。岡野陽一のネタを思い出す。
運が良くて勝ったり、悪くて負けたりしても、どちらにしても席を立ってパチンコをやめるのは自分だ。
我々に出来ることは、まず、パチンコをやらないこと。
そして、パチンコをやるなら、最後には席を立つこと。それだけだ。
パチンコ台は何も変わらないんだから、変えるべきなのは自分の方ということ。
明日の自分は、何時に席を立つんだろうか。
収支はどれぐらいで、どんな気持ちなんだろうか。
まぁ、楽しんできます。
アイマリン - Dive to Blue