一年前と変わった事と続いている事
ふと、一年前自分がどうだったかを考えていた。
一年前は、まず、このnoteがなかった。
このnoteは今年の3月に作ったような記憶がある。
引っ越してなかったし、Vtuberも見ていなかったし、家にピアノも無かった。
麻雀も全然やっていなかったし、ポーカーも多分やっていないし。
じゃあ何をしていたかというと、大体パチンコパチスロ、その辺りだ。
正直、何もしていないに等しかった。
たった一年前のことなのに、その時何を考えて生きていたのかが全く覚えていない。
本当に何もない状態で、近所を散歩してたまにカレーを食べるぐらいしかしていなかったような気がする。
ラジオは聴いてたな。ラジオは聴いてた。それは間違いない。
「あの夜をさがして」を国際フォーラムまで観に行った記憶はあるので。
思えば、ラジオだけはずっと趣味として続いているかもしれない。
聞く番組の数は顕著に減っているけれど、細々と聴いてはいる。
思えば、一年前から今でも継続的に続いている趣味ってラジオぐらいかもしれない。
今は「好きなラジオ番組を聴いている」ぐらいの距離感にはなった。
多分あの頃は何も持っていなかった代わりに、何もなくても耐えられたんだと思う。
だからギャンブルをしてお金が増えても無くなってもあまり興味は沸かなかった。
もちろん、生活に支障があるレベルで賭けていないから熱中出来ないというのもあるけれど。
今は何もないと耐えられないようになった。
その為にお金はたくさん使っているし、本も暇な時に読むし、ゲームもYoutubeも見る。
こうやってnoteも書くようになった。
あの頃に比べると、色々やっている自負はある。
ただ、これが成長なのか劣化なのかは全く判断がつかない。
結局どれも長続きしなくて、飽きてしまって、元のように何もないところに収まってしまう可能性はあって、その場合には諦めながら受け入れるしかないのかなと思う。
ただ、こういうのは急に飽きるのではなくて、徐々に飽きるものだし、心の中では未だに好きではあったり、いきなり好きな気持ちが復活したりする。
ただ、懐かしんでいるだけだと停滞する。
停滞するのが一番恐ろしいから、それだけは避けておきたいという気持ちもある。
何かを続ける事は難しい。
たった一年でもやってる事がガラッと変わるのだから、これを何年、何十年も続けることは至難の業だ。
私は何かを続ける能力に欠けているから、最終的な出力は劣ってしまうのだろうなという諦めもある。
ただ、浅くて広いなりに生きていかなければならないのかなとも思う。
どこかに定住して安定するようなことは性分に合っていない。
ただ、自分が定住出来る人間であると見せておかないと、生きづらそうな気もする。
何かきっかけがあれば、定住出来るようになるのだろうか。
定住しない事に飽きる日が来るんだろうか。
自分のことが一番分からない。
月とアネモネ - Mrs.GREEN APPLE