カフェ誇大妄想(Café Größenwahn)について覚書
ニコチンの黄ばみ、偽物のロココ調、安っぽいタペストリー、ついたての壁と低い天井、蔓延する煙。大きな帽子を被った女性に片眼鏡をかけた男性、人々は酔っぱらい、化粧をした青年たちもいる。カフェ・デス・ヴェステンズ(Cefe des Westens)、愛称「カフェ誇大妄想(Café Größenwahn)」は、一八九三年から一九一五年までベルリンのクルフュアステンダム(Kurfürstendamm)十八・十九番地、ヨーアヒムシュターラー通り(Joachimsthalerstraße)の角に存在した、前衛芸術の担い手たちが集まる溜まり場であった。
カフェ誇大妄想と表現主義
カフェ・デス、ヴェステンズ=カフェ誇大妄想は当時の前衛的な芸術家、詩人、劇作家や、ジャーナリスト、ボヘームが集まる意見交換の場であった。特に一九〇〇年ごろから第一次世界大戦前にかけては、表現主義の中心地といえる。《シュトゥルム》誌(Der Strum)のヘルヴァルト・ヴァルデン(Herwarth Walden)、《アクティオン》誌(Die Aktion)のフランツ・フェムフェルト(Franz Pfemfeld)、詩人ヤーコプ・ヴァン・ホディス(Jacob Van Hoddis)やゲオルク・ハイム(Georg Heym)、アルフレット・デーブリン(Alfred Döblin)、無政府主義の作家で活動家のエーリヒ・クルト・ミューザム(Erich Kurt Mühsam)、画家で文学者のパウル・シューアバルト(Paul Scheerbart)、劇作家のフランク・ヴェーデキント(Frank Wedekind)のような表現主義運動の担い手たちが来往した。「カフェに来なかったのは二晩だけだった。行かないとなんだか心がそわそわする」と書いた女流詩人のエルゼ・ラスカー・シューラー(Else Lasker-Schüler)は、当時の著名なベルリンのボヘームであり、カフェに行けば見かけない日はないほどの常連であった。カール・クラウス(Karl Kraus)がオスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka)を連れてきたり、音楽家リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)や版画家エミール・オルリック(Emil Orlik)も訪れ、劇作家ベルトルト・ブレヒト(Beltort Brecht)が三文オペラを描いた場所でもある。カフェは芸術家たちにとっての生活の中心であった。
カフェ・デス・ヴェステンズが人気だった理由として、当時文学者たちの唯一の溜まり場だったことが挙げられる。そしてベルリンにやってきた文学者たちはお金もなく、家は一部屋しか借りられない。カフェ・デス、ヴェステンズはそんな貧乏作家たちにとって隠れ家のような場所だった。リーズナブルな食事もできたし、アメニティも貰えたし、電話ブースもあった。チェスボードやビリヤードでも遊べた。そして何より、カフェでは外国のものも含む新聞が配られた。燃えるような赤髪をした新聞配達人、レッド・リチャードが《新ベルリン新聞》とゲストの出版物に関する情報誌を配りに来る。
作家たちにとってインスピレーションの場所であり、小さな大理石のテーブルで執筆する者もいれば、ラスカー・シューラーのように朝に家で執筆をしてから一息つきに来る者もいた。
エドムント・エーデル (Edmund Edel)が一九一三年にカフェ・デス・ヴェステンズが人気な理由についてこんなことを言っている。「大都市ベルリンの中で唯一このカフェだけが精神と魂を揺さぶることができた。大理石のテーブルが甘い糊にコーティングされたようだ。この小さなカフェが人気なのは、美味しいウィーン調のケーキ、洗練されたピルスナーだけではなく、カフェの誇大妄想もその理由である。オーナーではなく、来訪者の誇大妄想だ。カフェのそれぞれの区画ごとにいる精神的英雄たちの周りに徐々に人々が集まってくる。かれらは大理石のテーブルの席につき、日中から夜が更けるまでそこにいて、席を立つと五十五ペニヒの会計をするのだ。かれらはまるでバビロンの水にたかっているようにテーブルを囲んでいる」。
作家のレオンハルト・フランク(Leonhard Frank)が回想することには、「文学についての口論が毎日のように朝五時まで行われる。私は夕方四時にはまたカフェに戻ってくる。どこかのタイミングで眠って、今日わたしは無意味に自答する、いつわたしたちは本を書いているんだろう?」
カフェ・デス・ヴェステンズは芸術家のロマンとは対極の場所であった。ラスカー・シューラーはカフェ・デス・ヴェステンズのことを、「カフェの王様」と呼び、そして「カフェ・デス・ヴェステンズのことを密かに悪魔のようにおもっていた。だけど、悪魔がいなければなにも始まらない」。表現主義の詩人エルンスト・ブラス(Ernst Blass)はカフェ・デス・ヴェステンズについて、「小汚くて無政府的なわけじゃない」と評しているが、外からカフェを覗けば、アナーキーな雰囲気が蔓延し、バザールのようにカラフルな来訪者たち、無精髭を生やした男性や淫らな女性がたむろし、音楽が朝の四時まで演奏される、近寄りがたい場所であった。ブルジョワたちからは怪訝におもわれ、新聞でも批判の対象となっていた。一方で、ヴァルデンたちはブルジョワがカフェの前を通ると「大げさにブルジョワ崇拝をする儀式」をして茶化したりした。
ヴァルター・ベンヤミンもカフェ・デス・ヴェステンズに訪れた。ラスカー・シューラーはギムナジウム卒業後のかれをカフェに「引きずって」連れてきたという。かれはベルリンでの生活において、カフェのアナーキーな雰囲気には染まらなかったし、ベルリンは「快楽のための激しいアプローチを携えている」であり、カフェ・デス・ヴェステンズは「文学の世界と出会う場所ではなく、夜の女性と出会う場所」と指摘している。一方ではカフェを、「階級が存在しない民主主義の先駆け」と評価している。貧しい詩人、鋭い批評、勢力のある出版社が行き交う。かれらはオープンマインドで、現代美術や新しいメディアである映画に対して理解があった。
カフェ誇大妄想とカフェ文化の歴史
二十世紀に入るまで、カフェハウス(Kaffeehaus)は芸術家のサロンのように使われ、カフェは芸術家、文学者、知識人、ジャーナリストたちの交流の場であった。ベルリンのカフェはボヘームたちがたむろする場所としても発展していた。ボヘームは市民的生活を否定し、町を放浪、犯罪を犯し、性を売り、コミューンを作り、無政府的な生活を送っていた。ボヘームは当時のサブカルチャーでもあった。
ヴァルデンは「誇大妄想とは自分を自分以上だとおもいこむことではなくて、自分という本質以上だとおもいこむことだ」といっている。『カフェ誇大妄想』という名称は各地の芸術家のカフェの愛称として存在していた。
まず十九世紀オーストリアに存在した《カフェ・ガイエンシュタイドル》(Café Geiensteidl)の愛称であった。ここは文学者達の溜まり場で、アーサー・シュニッツラー(Arther Schnitzler)、カール・クラウス(Karl Kraus)、フーゴ・フォン・ホッフマンシュマール(Hugo von Hoffmanstahl)、アーノルド・シューネベルク(Arnold Schöneberg)が行き来した。しかし1897年にはウィーンの誇大妄想は終焉した。
二十世紀前半、第一次世界大戦前までミュンヘンに存在した《カフェ・ステファニー》(Café Stefanie)もまたカフェ誇大妄想と呼ばれていた。グラーフ・ケイザーリング(Graf Keyserling)、フランク・ヴェーデキント(Frank Wedekind)、ローダ・ローダ(Roda Roda)、エルンスト・トラー(Ernst Toller)などが行き来した。
ベルリンのカフェ・デス・ヴェステンズの歴史は、一八九三から一八九五年にアティカ様式のアパートメントがクルフュアステンダムに建てられ、その一階に《クライネス・カフェ》(Kleines Café)が開いたことから始まる。クライネス。カフェは芸術家や知識人たちの溜まり場となり、一八九八年からこのカフェは《カフェ・デス・ヴェステンズ》という名称に変更した。《カフェ誇大妄想》という愛称で芸術家や文学者たちから親しまれた。一九〇四年にカフェを引き継いだエルンスト・パウリー(Ernst Pauly)は一九一三年にカフェ・デス・ヴェステンズをから数軒先に移転し、《新カフェ・デス・ヴェステンズ》というコンサートカフェを開いた。元の住所にカフェは残り、公式に《カフェ誇大妄想》とした。しかし一九一五年にカフェは閉店し、その歴史を閉じた。第一次世界大戦の勃発に伴う徴兵は文化の中心の担い手たちを死に至らしめたのだった。一九一八年ごろから前衛芸術の中心は《ロマニッシェ・カフェ》(Romanische Café)に移り、カフェ誇大妄想=カフェ・デス・ヴェステンズは時代の流れとともに存在感を消していった。
出典
Emily D. Bilski, Jewish Museum (New York, N.Y.), Berlin Metropolis: Jews and the New Culture, 1890-1918, University of California Press, 1999, p78-83
Hubert Goenner, Einstein in Berlin 1914-1933, C.H.Beck, 2005, p22-p26
Altes Café des Westens ("Café Größenwahn"), Bezirksamt Charlottenburg-Wilmersdorf, Berlin.de, https://www.berlin.de/ba-charlottenburg-wilmersdorf/
Zur Geschichte des Namens, Café Größenwahn, https://www.cafe-groessenwahn.de/startseite/Legendäre Kaffeehäuser die Grössenwanssinigen vom Café des Westens, MOKA consorten ins Kaffeehaus, https://www.mokaconsorten.com/magazin/berlin-cafe-des-westens/