意思と気持ちの切り替え
【自分のネガティブを探す、考える、自分を傷つけるのが、誰よりも得意】な私。
その癖、【自分のポジティブを探したり、どうしたらもっと自分を大事に出来るのか考えることは、ネガティブな時ほど苦手】な私。
【とにかく時間がかかり過ぎる】
そんなんだから、『私と一緒に過ごす相手は楽しくないんだ。何でそんなに自分を傷つけるの?』って、きっと理解出来ないんだと思った。
ちょっと前の私だったら、『ポジティブを保てた』かもしれない。ただ、【ネガティブが重なり過ぎる】が故に、私の【ポジティブ変換能力】が追いつかなかった。
【自分が苦しい。しかも自分で自分を傷つけて、これでもかと言う程に痛めつけてしまう自分】を思い知った。『ちょっとした事なのに、ちょっと相手にやってもらっただけなのに、相手からのストレートな発言や意見を言われただけなのに』と。【ただそんな事】なのに、私は私を責め続けた。【私が足りないからだ、出来なかったからだ、やらなかったから、分かってなかったから】と。そもそも、やっぱり『相手任せな自分を痛感した』から。そして、【自分では何も決めきれない、やりきれない人間】なんだ。だから、『誰かにやってもらうことでしか自分は成り立たない』んだ。そんな私って最低。
ってな具合に、ちょっとしたことから感じた【自己否定から、更なる自己否定】を生んだ。その結果、私はエンドレスに自分を傷つけ続けた。
その間、私は【自分を責め続けることに必死】だった。『早く立ち直らなきゃ!』と焦る気持ちとは裏腹に、私はきっと、【自分を責め続ける事を望んでいた】のかもしれない。何故なら、【自分の足りないところの原因】を、【見事なまでに自分の実家とリンク】させていたからだ。
結局のところ私は、【自分の唯一の大切な実家】を、【育てられた私の過去な人生】を、【受け入れられずに恐れてる】のかもしれない。【自分の両親の会話】と、【私と旦那の会話】が【同じ過ぎてリンク】してしまった。【言われたことに従順】で、【それを果たすことに精一杯努力する】母と私を重ねて考え始めた。対照的に、【自分の意思や感情をストレートに伝えている】父と旦那。
別に、旦那も父も、私や母を咎めようとか、苦しめようとか思ってる訳では無いのは分かる。少なくとも私は、そう思う。だけど、受け取る側の私が、それ以上の事を考えられなくなるのだ。とにかく、『何が違ったんだろ?』『何が足りなかったんだろ?』『どうしたら上手く出来た?』と、【父や旦那をベース】に【私は】ってなるんだよね。
んで、結局『これも上手くいかなかった』『あれも上手くいかなかった』『また、同じこと言わせてしまった』と【自己否定の沼】に『見事にはまって生きてきたんだろうな』と振り返る。
実際に私は、そんな両親の会話や生活でのやりとりから、【母が、その都度苦しむ姿】を散々見てきた。そして私は、いつの頃か、母が【心の病気、障害の持ち主】なんだと知った。
そして、その事実が、ふと今になって私の頭に浮かんできた。最近では、どんどん強くなりつつあった。ことある事に、【強いネガティブな感情=病気】みたいな検索ばかりするようになった。
正直、その時点でたいぶ重症なんじゃないかと我ながら疑う。まるで子供のように、過呼吸に近いくらいに泣き続けて目を腫らした。
【母は病気だと、だから心が弱いんだと、過去の生活環境が複雑だったが故に病気になったんだ】と、散々聞かされた私。私にとっても、幼い頃からの両親の姿は、決して理想にしたい夫婦とは言えなかった。子供ながらに、普通じゃないことは明白だった。
そんな【当時の母と今の私の状況がリンク】してしまったということは、つまり、【私が幼少期の頃の、母の姿】を思い浮かべた訳だ。それだけでなんだか【とても苦しい気持ち】になった。そして、そんな私の状態で、子供のいる未来を想像した。そしたら、どんどんネガティブの沼から抜け出せなくなった。だって、【私もこのまま病気(かもしれない発作みたいな情緒不安定)】と共に、『実家の両親のような夫婦生活を送る』のか。未来の子供にとって、『子供の頃の私と同じような生活環境から影響を与える』のかと。
現実に起きてもいない未来の想像ばかりがネガティブに膨らみ、更に私は自信を失った。
【私の意思など、あってないようなもの】
きっとこれが、私の1番の思考回路なのかもしれない。母も似たようなことを言っていた記憶がある。結局のところは父親の意見が第一優先。今の私も基本そう。「私はこう思う!」が本当に言えない。言わない。
結局、『決める相手や実際に行動する相手がいる』と、『それで十分』みたいな感覚になってしまう。だから、いつまで経っても【自分がないまま大人】になってしまった。
典型的な具体例が最近重なった。そのうちの一例を紹介する。
旦那の友達や仕事仲間たちと一緒に焼肉を食べに行った時のこと。そのお店では、食べ放題のコース選択があった。食べ放題と言えば、みんなの意見を聞いて注文する人や率先して肉を焼く人、焼きあがった肉を「あれが欲しい、これが食べたい」と発言する人がいる。みなそれぞれに自己主張の仕方がある。
そんな中私は、「これ食べる?」と、私の目の前に肉を持って聞かれて、初めて「食べる」と言ったり、「これ食べなー!」とか「器に入れとくよ」って言われた物しか食べなかった。たまに、隣に座ってる旦那に「あれ欲しい、これは無くていい」とか言うくらい。私は、言う程の自己主張を無くして食事を終えた。
また、彼らの会話の中でも「俺はこう思う!」からの、別の人が「いや違う、俺はこう思うからこうなんだ!」みたいな流れが本当に多い印象をいつも受ける。
よく、自分の両親の【会話が弾まない理由】として、父は「母が自分の意見を言わない」と言い、母は「父の主張が強過ぎる」と聞いていた。たぶん私もそう。そもそも私が意見を言わない。【私が私を分かって無い】から【自己主張も生まれない】んだよね。
どこに行っても【私はおまけ】みたいな認識が強いんだと思う。旦那の実家に行ってもそうだし、なんなら旦那と2人の時もそう。常に【私はおまけ】な感覚。【主体性や自主性に欠ける】最大の根本的原因な気がする。
【自分が納得して本当にやりたいこと】って『気持ちなのか意識なのか、基本的に弱い』んだよね。でも、それって極論【私はおまけ】の気持ちだからなのかもって少し思う。
それに、【一緒に】とか【みんなで】とか言ってるのに【私はおまけ】なんて『1人だけ思ってたら、逆に失礼』かもしれないよね。
話は戻って、無理な我慢とか遠慮はしてないけど、なんとなくリードするのが得意な人に着いていくタイプ。そもそも私自身が、【どこまでの自己主張を望んでいるのか】ってことさえも、私自身が分かっていない。
【自己主張しない私】の癖に、『相手の主張に全力で奮闘する』私。そして、『上手くいかなかったら、ネガティブの沼から出られなくなる』私。そして、その状態が継続する中、【隣にいる存在の気持ちを、考えられていないのも私】な訳だ。
「なんで泣いてるの?」「いつまで黙ってるの?」「何でそんなに元気無いの?」と、『聞かれているのに泣いたままだし、答えない』私。結局、私自身も涙の理由がすぐには分からなかった。聞かれて初めて『あ、聞かれてるから答えないと!』と思って理由を探す。質問の答えを待たせている自分を責める。とにかく自分のネガティブを探すばっかりだから、なかなか言葉にして伝えることも難しい。たぶん、頭のどこかでは分かっているのかもしれない。【ただの私の思い込み・考え過ぎ】ってことを。だから、わざわざ『答えることを拒む』のも【私の勝手な都合
】なのかもしれない。
そんなことを聞いてくる相手のことを、『つい先程まではイライラしていていた』と感じていた私。だから私は、「さっきはイライラしてたんじゃないの?なんで今は引きづってないの?」と聞いてみた。すると「そんなもの引きづってたって気分悪いわ。そんなんだったらこっちもずっとイライラ継続したろうか?」と逆に聞かれた。
私は、ハッとした。確かに、【相手のイライラの感情が継続されれば、私は更にネガティブになるだろうと】思った。それを、【もう終わったこと】って【気持ちの切替をした相手】の前で、【私だけがネガティブ継続中】な訳だ。そりゃ【おかしい話】って気分になるよねって納得した。
ただ、納得はしたものの、いつもの様に『気づいたからには気持ちの切替を意識したい』って【ポジティブに言えない】のが実際のところ。たぶん今の私は、そこまでポジティブに言えるほど元気じゃない。そもそも、『私自身が心から望んでいることなのか』ってことも自信がない。
正直、【気持ちの切替】って一言で言ってもピンと来ない。【悩み続けてなんぼ】の29年の私の人生だよ。【自分を守るため】に悩み続けて20数年、【自分を知るため】とか【自分らしく生きるため】に悩み続けて数年。
私の頭の中に【気持ちの切替】のために必要な思考回路は、【今のところ無い】のかもしれない。ただ、【今はまだ無い】だけって話なら、【これから作っていけばいい】ってことよ。
あと、私の造語だけど【気持ちはあるのに意思は無い】って言葉が、今の私にはピッタリな気がしてる。【気持ち】も【意思】も、私はブログで頻繁に使う言葉。けれども、今、なんとなく違いを実感している。
【気持ち】の方が、【自己責任】の『ハードルが低く簡単に抱きやすい』と思った。『〇〇したい』って一言で言っても【気持ち】なのか【意思】なのかで、【本気度とか具体度】が『全然違ってくる』イメージ。少なくとも私は、そう使い分けしてると思う。
結論【自分の意思がない】には変わりない訳だ。『悲しい話だけど、悔しく』もある。【悔しさがある】ってことは、【本当は叶えたい気持ちが隠れている】ってことだと私は確信している。【心のどこか】では【きっとできる】って、【やってみせたいんだ】って【気持ち】があるはず。
たぶん要は、その【気持ち】から【意思】へと【自ら変換するだけ】の話なんだ。【ネガティブな気持ちを引きづる私】は、【ネガティブな気持ち】を【切り替えたい】のか【もっと深く考えたい】のか。【私はどうしたい!】の【意思】を【見つける努力が必要】なのかもしれない。
【足りない自分】を【どうやって認めるのか・補うのか】ってことが大事よね。【足りない自分】を【責め続けたところで何も生まれない】ってこと。【苦しむ時間の方がきっと長い】し、【新しい何かが生まれるのも時間の問題】だと実感する。
この週末の精神状態は、【メンヘラな私】にとっての大きな転機と、そのきっかけとしてブログに残しておきたい。
長文過ぎて、振り返った時に言いたいことが散乱していることが多い私のブログ。だけれども、私にとっては大事なこと。私の経験と記録。こんな苦しい経験でも今後の人生の糧にしたいと思う。