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自己認識を深めた結果子どもたちにしあわせの種をまけたのかも、と思ったHSP51歳の手前味噌な話

こんにちは。櫻子です。
中3男子、小1女子のママ、ADHD要素ありのHSP、ヨガイントラです。

先日、51歳になりました。
一昨年、うわー50歳になっちゃう〜と右往左往していたのですが、
気づいたら1年経っており、もう50代ベテランです。

クリスマスイブの昨日、クリスマスケーキの箱を抱えて帰ってきたところ、
ちょうど玄関の前で息子くんと彼女ちゃんに出会いました。
我が家は隅田川と東京タワーとレインボーブリッジが一望できるところで
夜景を見にきたそうです。
(「うち、2階なので」って言ってる彼女ちゃんが可愛かったw)

彼女ちゃんを送って帰宅した息子くんが
「今普通だね、さっきめっちゃ笑顔だった」(多分、彼女を歓迎する雰囲気だったのが嬉しかったんだと思う)からの「彼女ちゃんが、お母さんめっちゃキレイだねって言ってたよ。歳は言わないでおいたけど」と。

息子くんにとって喜ばしいママだったようで、よかったですw

一昨日は、娘ちゃんの7歳の七五三でした。
いいかげん25年前のアニエスワンピもな、ということで着物を借りてみました。
首が長く、良い姿勢で撮れ、「マミ可愛い」と娘ちゃんが言ってくれたのでヨシw

何を手前味噌な話ばかり、なんですがw

実は子どもの頃、こう言ってはなんですが、くたびれたお母さんが悲しかったのです。。。
ロングの巻髪できちんとお化粧している友達のお母さんに対して、
切りっぱなしのショートカットでファンデーションは塗ってるけどアイシャドウは持ってすらいない、13号がキツいうちのお母さん。(今思えば眉毛も整えてなかった)
わたしは覚えてないですが、当時(小3?)直接辛辣なことを言ったようで、こんなこと言われたって今だに話してきます。(一応冗談めかしてですが)

きっと傷ついたんだろうなと申し訳なく思うのはあるのですが。

ライティングライフ・プロジェクトで自己認識の世界に深めに足を突っ込んでやっとこさ、子どもの時の自分を振り返ることができるようになって気づいたのです。

子どもにとって、くたびれたお母さんって悲しい。
子どもたちのために我慢して、苦労して、という生活だったのだろうけど。
だからこそ、わかっちゃうから、わたしはとっても悲しかった。

専業主婦がまだまだ多かった昭和の時代の、フルタイム母&家事をしない自分勝手な父の家庭で育ったわたしは、常に働きずくめの余裕のないお母さんに罪悪感を抱いていたし、だからこそ子どもらしい気持ちは抑え込んでしまっていて、家の端っこで本と漫画の世界に逃げ込んで、長いこと自分の気持ちを見失っていました。
母親、妻、嫁は自分を後回しにするものっていう信念システムもガッチリインストールされて、縛られていたし。

ヨガに出会い、ボディートークに出会い、3つのノート(モーニングページ・ロルバーンダイアリー・note)で、自分を丁寧にみられるようになって、娘ちゃんのお祝いの日にママも着物で華やかに装う(もちろん、娘の着物に合わせて選んだけど)のを許せるようになって。

お母さんって、子どもにとっては、未来の自分。

子どもにしてやれる最大の贈り物は、自分が好きなことをやって生活する姿を見せることだよ。自分の才能を自由に社会と分かち合い、豊かな人生を生きる姿は子どもにとってプレゼントになるだろう。

『ユダヤ人大富豪の教え』本田 健さん

ということだし、結果オーライ?

51を迎えて、中3息子くんと彼女ちゃん、小1娘ちゃんに、キレイ、可愛いと言われるのは、なかなか善きことかなと思う次第ですw

ヨガやっててよかったし、本読んでてよかったし、HSPで繊細さんでよかったのかも。
そして何より、noteがあるこの世界に感謝です。

読んでくださってありがとうございました。

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上で引用した『ユダヤ人大富豪の教え』についてもう少しくわしく書いてます

本の世界に逃げ込む子ども、というのにシンパシーを感じたらおすすめの本


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櫻子|飾るのではなく磨く|意識を言語化するボディートーカー
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