意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その4.5 課外活動本格デビュー 番外編 大型二輪車は頭が良くないと乗りこなせない 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
生まれてからずっと夢見ていた知的パラダイスたる大学。学生運動の名残が少し残っていて、立て看板も絶滅危惧種ながら若干残っていました。
意識的に自分の殻を壊し入った自動二輪車の趣味。今のところ半生涯続いている趣味と実益(移動の自由を飛躍的に広げられる)を兼ねたその存在を正当化したく。
経緯
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ベビーブーム末期で受験戦争と言われた時代。意識的に自分の殻を壊し、バランスの取れた高校生活を選ばず、醜いまでに受験対策するということに。そのソリューションとして選んた駿台予備校が良かった…
駿台での授業内容は大学での学究生活に向けての準備というスタンスでした。入試なんてその通過点で軽くこなせば良いだけという余裕。感動的ですら有りました。
その辺りまではこちらをお楽しみ下さい。
しかし小学生時代、スタートが2年遅れた分を取り戻せず、その2年遅れを最後まで背負って希望の大学に入学しました。そして、弱冠20歳にて4度目の
意識的に自分の殻を壊す
です。
入試という他人の決めた知の体系から解き放って自分の知的欲求を基にした学究生活を取り戻す。それを真剣に追求しました。
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大学生活の経済的基盤と実社会への窓口として選んだ塾講師の仕事。その経験の中から出会った自動二輪車の世界。
その辺りは宜しければこちらをお楽しみ下さい。
昭和40年代初め、自宅前に住む大学生の方が普通の自転車に小さなエンジンが付いただけの自動二輪車を所有していました。折に触れてそれを見る機会が有りました。これが初めての自動二輪車を身近に感じた瞬間。
でも素直に何ともブサイク。
美しくない
のが原動機付き自転車という印象だけが残りました。今見ても美しくない(笑)
その後、夏休みに父親の会社の鎌倉の材木座にある海の家に海水浴に行っていた時のことでした。当時は有料道路だった逗葉新道の脇で二輪車と自動車の事故に遭遇しました。2人乗りをしていた二輪車の方々が空中を10m以上舞い、救急車で運ばれて行きました。自動車の方は無傷。横にいた親から執拗に自動二輪車は危険と諭され続けるキッカケとなった出来事でした。流石に小学生なので刷り込みは効きその後大学生になるまで単純にこの理解のまま過ごしたのでした。自動二輪車への偏見の始まりでした。
1年間だけ電子工学を学んだ大学の校内に有る滑走路で生まれて初めて乗ったモンキー。友人が仕送りを工面して中古で先輩から譲ってもらったものでした。始動性学研微妙でキックでだましだまし始動していました。正直何ともチープな雰囲気と場末感が半端ない感じでした。
二輪車の変速には不慣れで、ひたすらローギアで夜の滑走路を1往復を走りました。乗りにくく、しんどい乗り物という印象。
余談ですがその後海外ものの数名が入り乱れての動物的で不道徳(もっとちゃんと良く見ておけば良かった。残念。(笑))な8ミリ作品を生まれて始めて映写機で見ました。こんなことするのか驚き、その後は朝までさつま白波という焼酎をプロレス中継の再放送をつまみに飲むという、大盛りあがりのまぁ当時の下宿大学生の定番メニューを、1人だけ楽しみ方が分からずドン引きで経験させてもらいました。しかも、酔っ払った友人のお粗相の後始末をやり、閉口しました。ですからこの一連の記憶が鮮明に残っているのです。(笑)
その時は、私自身二輪車と暴走族とが直結していました。実際その大学の有った千葉県の道を車で走っていると改造した二輪車が交差点を逐次選挙して信号無視しながら隊列を成して走行するのを頻繁に見ました。
こんな経験が私自身の偏見形成に強く影響しました。それは私が偏見から開放される2年前のことでした。
その後の出会いは上述の塾講師としてお世話になった塾の塾長の大型二輪車。法学部では極めて狭き門の修士卒の塾長、知的に尊敬していた方が、
大型二輪車は頭が良くないと乗りこなせない
との名言(迷言(笑))を。
これは結構なインパクトでした。私の偏見を瞬間的に崩しました。
その頃弟がHONDAのLEAD50という原動機付き自転車、まぁ所謂スクーターを買っていました。私も正に自転車代わりにたまに借りて近所を走っていました。スクーターにしては大柄で加速も良く重宝しました。これが良い経験になりました。確かに安全運転を心掛ければ車に比べてとても便利。渋滞も関係なく目的地到着時間を誤差少なくも読めます。
実感として自動二輪車の利便性と楽しさに目覚めさせてくれました。
その後は再掲しますが以下の通り。
こちらも再掲しますが
大型自動二輪車は頭が良くないと乗りこなせない
ということです。
大型自動二輪車というのがミソ。
まぁ、荒っぽい昭和という時代の話です。
今は昭和に比べれば世の中も落ち着いて、民度も高くなり大型でなくても自動二輪車に乗られる方のマナーは劇的に向上したと思います。バイクブームを知っている私には相対的にむしろ自動二輪車は絶滅危惧種にすら感じられます。
何れにせよ本稿をお楽しみ頂き、自動二輪車へのフラットな視点を確認頂ければ幸いです。
蛇足
身近なことから一つ一つという意味では、
私の子供は2人とも大型自動二輪車乗りになりました。
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