意識的に自分の殻を壊す 私の習慣 その3.3 執拗なイジメ 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
連作の追記です。
書き難い内容で苦戦しましたが(笑)
この様な時代には戻って欲しくないとの強い思いから…
高校入試でも最難関校は尽(ことごと)く不合格になり、滑り止めの総合大学付属の私立高校にお世話になって居ました。その付属高校群の中では群を抜いていて、例えば医学部の内部推薦枠の半分を輩出する程でした。当時は殆ど内部進学で外部受験をする人は皆無でした。今は外部進学をする方も多い様ですが。
当時は付属高校なので受験とは無縁なとてもバランスの取れた教育が施されて居ました。例えば野球部は、昼から校外の専用グラウンドにバスで向かい部活に専念する程。甲子園にも在学中夏の大会に出場していました。
一方私は受験勉強に特化する偏った方向に舵を切っていました。高校1年生から通った駿台予備校は知的パラダイスでした。その辺は、以下に詳しくまとめましたのでそちらもお楽しみ下さい。
この様に周りの環境と私の方向性にギャップが有りました。しかし、好きだった生徒会活動もやらず教室、図書館、予備校を行き来する中学生までの私を知る友達も驚く程の目立たない存在を演じて居ました。
それが功を奏し平穏な日々が続いて居ました。
クラスにはかなりヤンチャな人々が数人居ました。詰襟を少し高くし、裏には金糸で龍の刺繍。低い位置にベルトをして太めのズボン、つり上がって、大きく角度が角度がついた眼鏡…
その影響でイジメで不登校になった(1学年留年して復帰)人や、歩行が少し困難な人がヤンチャな生徒がふざけて投げた金属製の塵取りで首を怪我をする(一歩間違えは大惨事)ななど、犯罪が多発していました。限度を超えていたと思います。
しかし、むしろ喫煙なとややこしく無い件には厳しい処分が行われていましたが、加害者と被害者が居る案件対応には距離が置かれていた感じでした。
しかし、私は意識的に自分の殻を壊していた以上、当事者ではないので関わらない様にしていました。
それまでの私には考えられない無責任な行動。
ヤンチャな人々は大人しい生徒にはだれかれ構わずチャチャを入れて居ました。常習。執拗なイジメ。私にも有る確率で絡んで来て居ましたが、往(い)なしていました。
昭和の高校ではこれを平穏な日々と言いました。(笑)
ところがその日はある日突然に。
高校3年生の運動会当日、数字を合わせるダイヤル式の鍵を掛けて居たのですが、登校すると個人ロッカー内の体操着が水浸しになって居ました。直ぐに担任に報告しましたが、
「では今日の体育祭は見学して下さい。」
とそれだけ。面倒くさいことを起こしてくれたなぁという感じが伝わって来ました。まぁ、過去の構内でのトラブル対応の仕方は見て来ましたので腹も立ちませんでしたが。
その後、内部進学の試験が近くなって来ると、ヤンチャな人々が何故か臆面もなく、この問題如何に解くのか?と質問しに来るようになりました。何とも現金な。
意識的に自分の殻を壊した先に待っていた残念なエピソードですが…矢張り事実なので残したく。
蛇足
中学生時代、高度経済成長が終わりオイルショックで大変混乱していた時代。学生運動も凄かった時代でも有りました。
小学校2校分の児童が駅前の中学に入学するというマンモス校。1学年上の生徒さんたちは今で言うなら学年の8クラスの内半分程度のクラスは学級崩壊状態。非常ベルを悪戯で鳴らしたり、私達の入学前には体育館裏で性行為をして性器が痙攣して抜けなくなり救急車が出動するなどと、想像を絶する世界でした。ですから予防接種は済んで居ました。
超蛇足
中学生時代、生徒会長等をして学内正常化を進め目立って居たので、そのヤンチャな生徒さんたちに良く待ち伏せされました。残念な昭和の中学校…
その中学校に比べたら高校は相対的にはマシな状態…
超々蛇足
でも中学生時代、私の活動の支持者だった多くの女子生徒の皆さんが事前に待ち伏せ等を教えて下さって、何とかできて居ました。