「可処分時間」という概念
ホッホー🦉
こんびんば。
フクロウが躍動するお時間です。
その日、猛禽類は思い出した。
“可処分所得”に支配されていた恐怖を。
“可処分時間”のことをすっかり忘れていた屈辱を。
私たちって、いっちょまえにお金(≒可処分所得)の心配はするくせに、可処分時間へのリテラシー鬼低くね?
と、ふと思ったので、休職前の私(公立教員)の平日の可処分時間を概算してみました。
(ラーメンを連日食べた後の健康診断ばりに気が進みませんでしたが、残りの人生のために真実を確かめました。ブルブル。)
ざっと書き出すと、太字で★がついているゴロゴロタイムが“可処分時間”として浮かび上がってきました。
ということは、オヂサンの1日の可処分時間は合計1時間半くらいってことカナ??👴
と思ったが、待て待て待て待て。
スキマに申し訳程度に挟まっているゴロゴロは、「ふぅ〜リラックス(●´ω`●)」っていう感じではない。正しくは、
「ヴ、、、もう動けねえ、、、少しだけ、、、、、、、少しだけ横にならせてくれ、、、グフッ(死)」
の方のゴロゴロである。
ゴロゴロというか瀕死状態だ。
あぶねーうっかり騙されるところだったぜ。
オジサン構文で遊んでる場合ではない。
と、いうことはですよ、
いわば“真の可処分時間”は、ほぼゼロ。
👾
ほぼゼロ、、、、??
👾👾👾👾👾👾
ほぼ、、ゼロ、、、、だと、、、?
👾👾👾👾👾👾👾👾👾👾👾
え、自由に使える時間ほとんど無かったら、ほな、ワイ氏、ほぼ生きてる意味なくね?
もしかして故人プレイなのカナ?👴👴👴
当たり前であるが、お金がいくら安定的に入ってこようと、有意義に使う時間と機会が無いと意味が無い。
(手に入るのは多少の安心感くらいだろう)
何より、時間はお金と違って、後から取り返せない。しかも、「今現在の時間の価値」は「未来の時間の価値」とは異なる。健康な体と豊かな人間関係を持っている今現在の私の時間の価値は、50年後の私の時間の価値よりきっと高い気がする。
お金は後からいくらでも取り返せるのに。
もはやタイムイズマネーではない。
タイムイズモアザンマネーなのだ。
👾
すごく単純で大切なことなのに、
忙しさにかまけて考えるのを放棄していた。
でもそれは私の怠慢ではなくて、キャパの問題だったと思う。
改めて、クリアな視界で働き方を見直し、「可処分時間」を十分に確保できるような休職後の未来を考えたいなあと思いました。
それではまた
良い夢見られますように
ホッホー🦉🦉🦉
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