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人に優しく、自分にもっと優しく。

これは僕の好きなyoutuber東海オンエアのリーダー、てつやの座右の銘なのだけど(おそらく元ネタは小池一夫)

実際僕に「自分に優しく」という言葉をかけてくれたのは、とある友人だった。

僕はそのときひどく、
とてもひどく落ち込んでいた。




「人のことが好きになれない。もうダメだ。」




「どうした」



「会えば会うほど、嫌いなところばかり目についてしまうんだ。
減点方式でしか人を見れない自分が嫌だ。」



「別に、そんな好きで好きでたまらない人なんて生きてるうちに何人も出会わないと思うけど。」



「違う。好きな人が欲しいわけじゃなくて、嫌いな人が多すぎるんだ。

大多数の人は周りの人達と関わるとき、ちょっとくらい嫌なことがあっても目を瞑って、お互いに許し合っている。
いちいち言葉のトゲに傷ついたり指摘していては身が持たないからね。

だからこそ社会で生きられるし、それが大多数なんだ。

僕にはそれができないんだ。」



「普通にムカついたり、他人を嫌いになることはあるよ」



「でも、「うまいことやり過ごして」生きていられてるじゃないか。

人が集まる場所で、たったひとり嫌いな奴がいるだけで何も考えられなくなるくらい息が詰まったり、体調が悪くなったりはしないでしょう。

僕にはそれくらい嫌いな人が多すぎるし、そういう人を作り続けてしまうんだ。

それはもう、HSPだの双極性障害だの言ってられない領域なんだ。
こんな人間が、これからどうやって社会で生きていけって言うんだよ。」



「なるほどねぇ」



「貴様は尊敬できるから別としても」



「貴様て」



「わかってるんだ。
他人の嫌なところばかりに目がつくのは、普段から自分の嫌なところばかり数えてるからなんだよ。
まだ自分のことが嫌いなんだ。」



「子供の頃、おじいちゃんやおばあちゃんは嫌いだった?」



「別に好きだったよ、そりゃあ。」



「それって、優しくしてくれるからでしょ。
自分に優しい人は、皆好きなんじゃない?

だからその人たちみたいに、自分に優しくしてみたら?
自分に優しい自分を、好きになれるんじゃない。
私みたいに⭐︎」



「嫌いになってきた」



「なんだと」







「自分を許す」でも「自分を甘やかす」でもない。

「自分に優しく。」

なるほどなと僕は思った。

僕が今やらなくちゃいけないことを、一ミリの狂いもなく言い表している言葉だ。



「自分を許す」

その通りだけど、抽象的すぎて8時間寝たら体の中からすっかり消え去っている。
抽象的なものには血が通っていないんだ。

「自分を甘やかす」

気持ち的にはそうそれ!と言いたいところだけど、言葉としては適切ではない。
本当に甘やかし続けて、ゲームを無制限にダラダラとやったところで最後に痛い目を見るのは自分だからだ。

自分を褒める、大切にする、OKを出す、100点をつける・・どれもしっくりこない。



自分に、優しく。



良い言葉だ。

優しいっていう言葉は、結構奥が深い。



別れた恋人がまだ僕に未練があるなら、冷たく突き放したほうが優しいし、
30歳を超えれば、職場に「真剣に怒ってくれる、優しい人」はいなくなる。


朝になるまでゲームしてしまったことを許すのも、もちろん優しさの一つだ。


優しさの適材適所のタイミングは、「自分が優しくしようと思った」のならば、それがベストタイミングだ。

どれだけ甘やかしても、どれだけ厳しくしても、それは自分に優しい。

「優しくあろう」と意識している限り。








僕が関わった人間の中で、殺したい奴が2人ほどいる。


奴らはとても自分に優しい。

僕の周りの誰よりも自分に甘く、人のせいにすることを徹底している。

反省をしない。
罪悪感がない。

奴らは息を吸うように、無自覚に僕を否定し続ける。

喋れば喋るほど「話が通じない」と思わせてきて、心を折ってくる。
僕とは遠く離れた思考回路に、希望がもてない。


自分に優しくすることは、僕にとって奴らのような汚物に成り下がることだった。

俺とあいつらが同じだって?冗談じゃない。



あいつらを否定するには、自分に厳しくしなければいけない。

僕を肯定する為に、僕は奴らに勝って、頭の中から消さなければならない。


なのに、僕はもう自分に厳しくすることが出来なくなってしまった。

もう、疲れてきって体が言うことをきかない。

自分にも負けて、あいつらにも負けるのか。

どうすればいい?

僕を守る為には。
そうか、殺してしまえばいいのか。



金属バットで鼻を目掛けてフルスイングして、顔の原型を失くす。
次に目を合わせながらカウントダウンを始めて、腕の骨、指の骨と順番に叩き折る。
僕の目と恐怖がイコールになるように刷り込ませる為に。

ぎゃあぎゃあ叫んで人が来られても面倒なので、初めから防音のレンタルスペースを借りて、「話したいことがある」とおびき寄せておく。

屈服させるペースを他人に乱されないように。

毎晩夢に出てきて、寝られない体に仕上げられれば一番良いのだが、面倒なので殺すのが手っ取り早い。

結局、頭めがけて一心不乱に10回くらい強振してしまうのだろう。

余裕なんてないさ、どうせ。



結構な割合で、僕は奴らに復讐する為に生きている。

過言?

そんなに、過言じゃないよ。






「自分に優しく」







奴らは、物凄く自分に優しい。

でも、いつも最後には他人のせいにする奴らは、自分自身のことも無自覚に傷つける。
自分に甘いだけだから、人間として成熟していない。


奴らよりもっと自分に優しく、強く、美しく生きる人を僕は知っているし、その人のように優しくありたいと思う。

その道を歩いていれば、いつしか奴らが勝手に消えていく気がするから。


だから僕は、成り下がる。

「自分に優しい」ことに関して、奴らは僕より上であることを目から血を流しながら認める。

殺したい相手から、学ぶ。

甘やかすのも、優しさの一つだ。

そして、絶対に殺してやる。



「自分に優しく」のあとには「する」がつく。

自分に優しい行動をとる、ということだ。

そうして、思い出したときに僕は深呼吸をしたり、その場で伸びをしたり、あるいは銭湯に行ったり、カラオケに行ったり、上ロースとんかつを食べたり、投げ込みをしたりする。

自分に対しては見返りという概念がないから、ただひたすらに、無限に優しさを注ぐことができる。

「優しくありたい」と思ったその瞬間に、限りなく。

自分のダメなとこくらいは、もっと優しくなれたらいいな。

そしていつか遠い未来、他人にも寛容になれたらいい。



人に、優しく。




自分にもっと優しく。



living well is the best revenge
(愉快に暮らすことこそ、最高の復讐である)

George Herbert(イギリスの詩人)





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