岩波新書「学力喪失」チラッと読了

近所の書店をブラブラしていると新書部門1位が目に留まった。

これってこないだのあの人かな?と思い、

同じ人でした。今井むつみさん。
新書1位でどれくらい売れるんだろうなどとどーでも良いことを考えながら、ふとこの本前の本とほとんど同じことが書いてあるだけなんだよなと思ったわけです。決してディスっているわけではないのですが・・・

認知心理学プロパーの人に悲しい現実を突きつけてしまうと、残念ながら認知心理学は学校知とは非常に相性が悪いです。このたつじんテストとやらを試すつもりはさらさらないですが、これは非常にコグトレというものと似ている印象です。コグトレとは

コグトレ®(Cog-Tr)は、認知 ○○ トレーニング(Cognitive ○○ Training)の略称で、3つのトレーニングで構成されています。コグトレ研究会は主にこの3方面から、困っている子どもたちの支援を考えていく教育・医療・心理・福祉の専門家からなる研究会です。研修会を通して『子どもたちへの新しい支援方法』を提供していきます。

https://cog-tr.net/cogtr/より

です。

どちらも認知を主軸に据えて学力を見ています。
そこは同じと見て良いでしょう。しかしケーキの方は犯罪心理学寄りである一方、こちらの方は幼児の発達心理学に寄っています。

 本書で取り上げられる「学びのつまづき」という考え方は特段新しい考え方ではないわけで、秋田喜代美さんにだいぶ近しい人物のようですが、その考え方もほぼ同じです。つまづきとは子どもが発達上壁にぶち当たることを指す言葉で学習のみに使用されるわけでもなく、相当昔から使われています。どうもイメージが良くないので保護者には不評でした。
 過去には登校拒否を講演でつまづきと良いイメージで表現したつもりが聴衆から突き上げを喰らっている大学教員を見たことがあります。

 秋田喜代美さんが佐藤学さんとタッグを組むことが多いのは得意分野が明確に違うことを自覚しているからではないかと思います。秋田さんは子育てや家庭教育、幼児教育を専門とし、佐藤さんは学校教育を専門としているからです。もちろんこれだけ長いことやっていればどちらもそれなりに俯瞰できるのでしょうが、学者にはどうしても領分という発想が付きまといます。致し方ないのでしょう。

 てなわけで本書を読む層というのは保護者層ということになります。というのも学校の先生が読んで面白い本ではないからです。
 もし2*3と3*2の区別がつかない教員がいるのなら読んでも無駄ですし、区別がついているなら読んでも無駄だからです。これは等分除と包含除でも同じ意味です。

 本書はこうした理解を文章題および数学学習の理解と重ね合わせています。
 それは理解できます。当然文章題は読解力というよりは直観(よく単純な思いつきだと認識する人がいるのですがどちらかといえばイメージや想像力だと理解する方がいいでしょう。もちろんペスタロッチやディルタイも経験よりそちらを重視したということです。)だと書いてあることにも合点がいきます。

 しかしながらこれは学校教育とは非常に相性が悪いということです。
予防線を張っておくならば相性の問題なのでこの本や論理が悪いということにはなりません。
 家庭教育の範疇で取り組むには良いのではないでしょうか?しかし効果が上がるかどうかは疑問です。個人的には小学校で「つまづく」ことが将来を規定することには非常に懐疑的だからです。

 ケーキの時にも書きましたが

 学校で得られる知識というのは学習知だけはないということ。
そして本書でも取り上げられている通り、そして文科省も触れている通り学力は主体性に起因することが大きい可能性が高いということです。これを断定的に言っている人がいますが、現時点学校教育で規定できるほどのエビデンスは存在していないと思います。義務教育の全員にこうしたことを強要して良いのかという疑問があるからです。
 向き不向きを考慮しないまま、学習集団として考慮しないまま、固定的に主体性だけを学校の授業に取り入れれば不登校やいじめ、学力低下を招きかねません。そもそもそうした経験を「ツッパリやヤンキー」でしてきた世代としてはあまり許容できる話ではないんです。別の意味での学びからの逃走が起こりかねないと思います。
 学校に行かなくてもいいというメッセージは一定の学びからの逃走を築き上げました。これからも自分で学びましょうというメッセージが自分でさっさと諦めてしまうラインを決めましょうという学びの逃走を生み出しかねないということです。どちらもそれまでにはなかった「新しい」逃走です。今回のものは跳び箱飛べない子どもが自分で助走のスピードを緩めたり、跳び箱についた自分の手で自分の行き先を邪魔したりすることにとてもよく似ていると思います。
 認知能力だけに、学習知だけにとらわれて結局学びから逃走することだけが上手い子どもを育成するようにならないよう注意することが必要だと思います。それはメッセージ性の問題なので必ず起こるとは限りませんが、とにかく注意が必要です。特に家庭教育が学校教育に齟齬をきたしてパフォーマンスを落とすというの良くあることですから。

 ただ本書の記号接地という考え方はとても面白かったです。
 しかし残念ながらこれも学校教育では取り組みにくい題材です。一斉授業が良いか悪いかはさておいて、今の学校教育はその範疇で授業を進めるほかありません。それは学校が悪いのではなく学習指導要領のせいですが、そことの親和性がよくありません。
 そこを子ども個人個人にコミットできればなかなか面白い学習ができるかもしれません。というか学校の授業という取り組みはこれすらも子どもの学び合いの中にすでに取り込まれているのかもしれないと思います。文章題における想像が苦手な子どもと得意な子どもは同じ教室で学びながら意見交換するということが意図せず記号接地を全体的に進めているということもできるのではないでしょうか?

 一言言わせていただければ、学校は何もしていないわけではありません。古い教え込み授業だけをしているわけでもありません。ぜひ優秀な担任を見極めることのできる保護者になっていただきたいということです。大学教員は・・・まぁいいです。

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