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大乗仏教 如来蔵思想・唯識思想

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#唯識

【大乗仏教】如来蔵思想・唯識思想

【大乗仏教】如来蔵思想・唯識思想

大乗仏教の主な思想の中に、中観思想の他に、如来蔵思想と唯識思想があります。ここまで、「空の思想」ということで、初期般若経典・浄土経典→龍樹→中期中観派と一気に話を進めてきましたが、本来であれば、その途中に如来蔵思想の原点となった初期大乗経典(龍樹以前の経典)、そして如来蔵系経典や唯識系経典が存在しています。

如来蔵思想と唯識思想の原点となった初期大乗経典は「華厳経」と言われています。また、「法華

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【大乗仏教】心相続

【大乗仏教】心相続

〇説一切有部の心相続
唯識派の思想に入る前に、説一切有部と経量部の「心相続」について触れておきたいと思います。さて、説一切有部の心相続(心法の相続)の大まかなイメージは下の図のようになります。

心(心法)もまた、刹那滅(生じてはすぐに消滅)です。ただし、有部における法体(ダルマ)の刹那滅は、あくまで「作用」の刹那滅であり、「本体(基体)」は常住です。経量部は有部のように法体を本体と作用に分けるこ

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【大乗仏教】唯識派 識の変化

【大乗仏教】唯識派 識の変化

唯識派の思想において、人間的実体(主観的存在)と想定されるものは、生じた瞬間に滅する「識」が次々に継起して形成する識の流れです。そして客観的存在と考えられるものも、「識」の内部にある「表象」に過ぎません。識が瞬間ごとに表象を持つものとして発生することが「識の変化」です。実際にあるのは「識の変化」であって、それを人は主観的存在(自己)あるいは客観的存在と想定しているに過ぎないということですね。「識の

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【大乗仏教】唯識派 四分説(三分説)

【大乗仏教】唯識派 四分説(三分説)

唯識思想における「識」の分類は、前回の記事で紹介した「識の三層」だけでなく、「識の四分説(三分説)」というものも存在します。

唯識派の学説を認識論的に考える際には、「識の三層」よりも「識の四分説・三分説」を用いた方が分かりやすいと思います。

自証分が見分と相分に分かれているため、自証分は「識の三層」の中で末那識単独ではなく阿頼耶識を加える方が妥当ではないかと筆者は考えます。今後、唯識思想を認識

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【大乗仏教】唯識派 認識の対象とは?

【大乗仏教】唯識派 認識の対象とは?

唯識派は、外界の実在を否定する際に、説一切有部・経量部などの原子論を否定しています。

○原子論
仏教で最初に原子論を導入したのは説一切有部と言われています。ヴァイシェーシカ学派からの影響もあったと思われます。しかし、有部の原子論はヴァイシェーシカ学派の原子論とは大きく異なるものでした。ヴァイシェーシカ学派、説一切有部、そして有部から分派した経量部の原子論を見ていきたいと思います。

○三種類の原

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仏教認識論

仏教認識論

上座部仏教・大乗仏教における認識論的立場は、主に「無形象知識論」「有形象知識論」「有形象唯識論」「無形象唯識論」に分けられます。前半二つは内界・外界ともに実在として存在するという立場で、後半二つは外界は存在せずに内界だけが実在として存在するという立場です。それぞれの立場において、「我々の意識体験」がどのように作られているのかを、「今、私がリンゴの木を見ている」体験を例にお話ししていきたいと思います

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【大乗仏教】唯識派 唯識二派

【大乗仏教】唯識派 唯識二派

六世紀の初頭にナーランダー出身の徳慧(グナマティ)は西インドのカーティアワール半島にあるヴァラビーに移り、彼の弟子である安慧(スティラマティ)に至って、この地の仏教学は最盛期を迎えたと言われます。同じ頃、ナーランダーにおいては護法(ダルマパーラ)が活動していましたが、安慧(スティラマティ)と護法(ダルマパーラ)の間には唯識説の解釈に相違がありました。

前者は阿頼耶識が最終的には否定されることで、

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【大乗仏教】唯識派 三性説①

【大乗仏教】唯識派 三性説①

今回より、唯識思想の中でも難しいと言われる「三性説」に入っていきます。この「三性説」において、弥勒(マイトレーヤ)・無著(アサンガ)同一人物説の矛盾を示していきたいと思いますので、少々長くなります。

三性(三種の存在形態)は唯識派によって創説されたものではなく、元来は「般若経典」に説かれていた教えを唯識派が学説化したとされています。陳那(ディグナーガ)は『八千頌般若経』の網要をまとめた「般若経の

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【大乗仏教】唯識派 三性説②

【大乗仏教】唯識派 三性説②

今回は弥勒(マイトレーヤ)の著書である『大乗荘厳経論』の三性説について、お話していきます。ここから三性の解説が唯識派に特徴的なものになっていきます。

・遍計所執相(遍計所執性)
=絶えず二を離れたもの
=遍く知られるべきもの
=言葉や対象に依って顕現しただけの名称なので非存在

・依他起相(依他起性)=虚妄分別
=二の迷乱:迷乱の依り所
=幻のようなもの
=断じられるべきもの
=所取(器世間・六

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【大乗仏教】唯識派 三性説③

【大乗仏教】唯識派 三性説③

ここまでの内容を簡単にまとめます。

弥勒(マイトレーヤ)の『大乗荘厳経論』では「見分と相分」について、「二の迷乱」となっていましたが、『中辺分別論』における「二つのもの」とは「阿頼耶識(識)とその顕現である見分・相分(四通りの対象)」を示していると筆者は考えています。

そして、注釈者である世親(ヴァスバンドゥ)はおそらく、二つのものを遍計所執における主観・客観のことであると理解していると思われ

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【大乗仏教】唯識派 三性説④

【大乗仏教】唯識派 三性説④

弥勒(マイトレーヤ)の著書「中辺分別論」における三性説の続きになります。想像よりもかなり長くなってきましたので、少し急ぎ足になります。

あくまで筆者は次のような意味と考えていますが、様々な説があります。

・識(阿頼耶識の種子)が現勢化する時、それは{色声香味触法}の六境として、{眼耳鼻舌身意}の六根として、末那識として、及び{眼耳鼻舌身意}の六識として四通りに顕現する。
・しかし、識(阿頼耶識

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【大乗仏教】唯識派 三性説⑤

【大乗仏教】唯識派 三性説⑤

弥勒(マイトレーヤ)の三性説の説明が長くなってしまいましたが、今回は無著(アサンガ)の著書である『摂大乗論』における三性説を見ていきます。

・依他起性(雑染と清浄の二分)
阿頼耶識を種子とし、虚妄分別によって集められた表象(相分)です。阿頼耶識という種子から生じた十一種の表象が説かれますが、これらは阿頼耶識の種子から生じた六識の内部にある六根・六境・器世間といった相分と同義と考えられます。

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【大乗仏教】唯識派 三性説⑥

【大乗仏教】唯識派 三性説⑥

三性説の最後に、世親(ヴァスバンドゥ)の三性説を見ていきたいと思います。世親は『唯識二十論』等において、表象主義的な唯識論を展開していたため、おそらく無著(アサンガ)と同じく有形象唯識論側な唯識観を持っていたと思われます。

依他起にとって、遍計所執がなくなった状態が円成実であると世親(ヴァスバンドゥ)は考えているため、この点は無著(アサンガ)の三性の解釈と同じであることが分かります。

・遍計所

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【大乗仏教】唯識派 仏の三身・四智

【大乗仏教】唯識派 仏の三身・四智

仏の三身
仏陀(如来)に法身・受用身・変化身の三種を認める三身説は唯識派によって完成されました。ただし、初期大乗仏典である『華厳経』『法華経』において、既に如来の法身と化身という思想は登場していました。さて、三身の呼称には相違があり、「法身」に相当するものは自性身とも呼ばれます。そして、受用身は「報身」とも呼ばれますが、例えば阿弥陀如来が極楽浄土を持つように、仏の報身はその仏国土をもち、楽園の荘厳

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