皆。オジサンな、もう「VTuber」って呼ぶの、やめようと思うんだ。
https://youtu.be/aAgpofIZ8_g ファン数56万人を見据えているトップにじさんじライバーの委員長がこの作品を今繰り出す意味を考えながら「罪」を肴に氷結をグイッと飲みたい。それほどなまでに痛快なパンチだった。僥倖。
後日詳細は書きますが、今日「最推し」に1組加わりました。「朝ノ姉妹」です。3組目になります。瑠璃さん、茜さん共にこの二人が報われない世界線はあり得ません。遅きに失しているとは思いますが、今から全力で推します。心から報われて欲しいです。#朝ノ衆 #朝ノ瑠璃
取材帰りに #Vtuber 配信勢隆盛による『追う時間がない』問題を考える。配信好きな自分には「追う時間がなくなる」という感覚が元々ない。ニコ生全盛期はPCで3~4窓していた。今は休日にスマホ2台+iPad+PS4で最大4窓が普通。これって、もしかして世代間の違い?
織田信姫さんがついに配信に着手。以下URLは2回目。https://www.youtube.com/watch?v=93B2FKr-xOM これが非常に面白い。「アタシ配信向いてないかも」といいつつトーク力の高さは流石…と唸った。動画も配信も面白いなんてまさに鬼に金棒。確信した、彼女の真価もこれで爆発する。
花譜の騒動の時にも感じたのだが、YouTube広告出稿は正当なマーケティング手段であり糾弾される類のものではない。それを言ったらヒメヒナ(広告出稿が知名度アップに貢献)やMZM(広告出稿したことを動画のネタに)とかはどうすれば? 個人・団体限らず広告出稿は立派な手法の一つである。
キズナアイ分裂。彼女が過去にユリイカで「タチコマ」の名前を出している時点でこの戦略は既定路線。だから戸惑う必要も不安がる必要もない(気持ちはわかるが)。「Activ8は現在も攻めている」、この事実は前向きに受け止めるべきだと自分は思う。https://kai-you.net/article/65122
Vtuberの魂が変わる事象とアニメキャラの声優が変わる事象は本質的に同じ。一番大きく違うのはアニメの場合商業的影響がデカイのが予め分かってるから事前に大々的にキャンペーンを張ること。声が変わることを喧伝して変わった際のショックを軽減している。ここに魂問題解決のヒントがあるはず。
今自問自答をしている。果たして私の「中の人の才能・可能性至上主義」とも言うべき基本スタンスがVTuberという枠組みにおいて正しい選択なのかと。私がVTuberに可能性を見出した観点がこの視点なだけに変えようがないのだが、予想以上の異論を目の前にして狼狽えている。しばし、悩もう。
多くの模倣者を産むのが社会現象であるならば、のじゃおじは間違いなく社会現象だと思うのだけれど、彼女の模倣者は多くはあまり彼女自身を正確に模倣しようとはしていないんだよな。 のじゃおじの模倣者はむしろそのオリジナルのキズナアイなどを模倣しようとしているように見える。
「亜さのここ亜のゲームオーバー」を読んだ。かの方はアバター型のVTuberよりもキャラクター型のVTuberの新しい表現の形式に価値を感じていたようだけれども。 たぶん僕が価値というか発展性を感じているのはそうでなくてアバター型のVTuberの方……なんだと思う。
のじゃおじの功績は「個人の発信チャンネルとしてのVTuber」というアイデアを知らしめたことだよね。
情報技術がもう一段階発展することによって、大量生産から小規模なグループでの即興的な生産と消費への揺り戻しが起こっている。インターネットが発明されてから現在に至るまでの流れとして起こっているのがエンタメの村祭りへの回帰なんではないかと。個人系VTuberが担っているのはその一端。
お仕事関連も兼ねてtiktokに潜る。一番稼働してきたのはキズナアイ親分。流石。次にフプキちゃん。流石は国際的展開を押さえている印象。ぶっちゃけここら辺まだ未開拓なので、新規参入の余地ありと見ます。