「仲介者、道、橋」は二項の対立関係を積み重ね、矛盾を矛盾のままカオスに秩序を仮設する蝶番。>「ものごとの意味は…救済の道である。…それはこの世を支配することであり…。ものごとの意味は…生の仲介者、道、橋であり、渡っていくことなのである」(ユング『赤の書』p.178)
中沢新一氏の『レンマ学』。華厳経、井筒俊彦、脳、レヴィ=ストロース、タコ、粘菌、南方熊楠、そしてユングなどなどから「インドラの網」的に神話的思考の「先」を引っ張り上げようとする。意味論の見取り図を書き直す手がかりになりそう。これもまた『赤の書』である。
ユング『赤の書』より 超意味は「意味でもナンセンスでもなく、イメージと力がひとつになったもの」 超意味は「意味へ、ナンセンスへ、変容し、その二つの衝突による炎と生き血から、繰り返し若返る」 …このビジョンを食らいながら、正気を保ち、記憶し、描く、ユングという人のすさまじさ。
「もっと別の精神は、私に、正当化、有用性、そして意味の彼岸にあるものを語るよう強いてくる」…その精神=「深みの精神」は「私から」「意味とナンセンスとの融合=超意味を生み出すこと」に役立たない言葉と文字を「奪った」(ユング) …意味の彼岸の超意味。意味とナンセンスの融合