不思議と同じ着地点のお話に耳を傾ける事があります 例えば上司と部下であっても 家族や恋人 であっても 根底劣等感の諦めで思考する人は 強い自分護りの選択肢を狭い視点で正当化します その人が自分の言葉を自分で幼く恥る成長を祈り信じ受入れるか 離れるかだけ 因果に従いましょう
無理な時に無理と割り切って ダメな自分をゆっくり俯瞰で 見えるように 穏やかに過ごしたいなあ。 なんなんだろうなあ しがらみ なのか 呪いなのか 囚われていて それでいて行動はおこさない のに他人任せ 羨ましいと言い続ける 不思議さよ 使い方がわからない。 なぜ?
気づいたら、自分は自分はって、文章が多くなっていた… 周りが見えていない証拠だ… よくない傾向にある… それだけ今の自分は、不安定だ…
携帯の割れた画面が一昨日修理されて戻ってきた。試供品で保護フィルムがついてきた。より使いやすくなっていた。一見よくないことにばかりフォーカスしてしまうけれど、ありがたいこと、より良くなっていることは実はある。見えていないだけ。