見えていない。
見えていないものがあるのです。見えているのに見えないのでは無く、本当に見えていないと言うか、隠れているものがあるのです。
隠そうとして隠されたものはいずれ誰かの目に触れる事になるのですが、隠すつもりが無くて隠れているものを探して伝えることをしたいのです。
隠れているもの。それは、あなたの良いところ。わたしの良いところなのです。
悪いところは見たく無くても気になります。見ないふりができても見えてはいるのです。でも良いところは見ようとしないと見えないものなのです。
悪いところの反対が良いところではないのです。悪いところが良いところを隠してしまっているのです。他人の良いところは見えていても見えないのです。自分の良いところは隠れていて見えないのです。
良いところとは、誰にとって良いところだというのでしょうか?
ハイジのおじいさんは、神様とも人とも決別してひとりで山小屋で暮らしていました。
若い頃は、悪い仲間と遊んでいて財産を遊びとお酒で使い果たし、両親が心痛のあまり死んでしまった後、傭兵となって海外に行って帰ってきた時には大きくなった息子を連れていたそうです。喧嘩をして殺人を犯して逃げてきたと噂されていて、息子が大工となって結婚してできた子供がハイジです。
ハイジのお父さんが事故で死んで、お母さんもそのショックで病気になって死んでしまうのです。そのような生い立ちのハイジとおじいさんの出会いは、善人、悪人とは、人間関係で作られたもので絶対では無く相対的なものなのだと教えてくれます。
見えていないものを見せてくれるのが文学です。今見えているものが全てでは無いのです。あなたには見えていなくてわたしには見えているものがあるのです。それを伝えるのが、本当に伝えると言うことです。
自分には、見えていないところを見せてもらうのが伝わったということです。わかったつもり、伝えたつもりになる事なく見えていない事を伝えているのだと思い、見えている景色を伝える必要があるのです。
見えていない事、隠れている事を伝えるのは、興味本位の事柄を伝えると言っているのでは無いのです。人が生きやすくなるように導く道標を書くのです。
人を騙す、惑わす、陥れる文章を書いてはいけないのです。その先に見えている景色では無い事を道標にしているのです。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と実際に赤信号を渡ってしまえば、車に轢かれることになるのです。自分が強い事を誇示する為に、暴力や暴言で対応すれば、その上をいく暴力や暴言が返ってきて、終わる時はどちらも、大きな痛手を負った時なのです。
今が見えていないと未来も見えません。
過去が見えていないと未来を見る事はできません。
見えないと見ようとしないは同じです。
見たいと思うと見えるものですが、心が見たもので目に見えるものとは違ってます。
安定を望むと変化が見えなくなります。
変化を望むと安心が見えなくなります。
安心を望むと安定が見えてきます。
見えないけれど変化はあるのです。
誰もが見える変化は不安なのです。
見えない変化に対応できれば安泰です。
見えない変化に対応するとは準備なのです。
準備には物質的な物と精神的なものがあります。
心構えから始めて最後の詰めで終わらせるのです。
見えていないものを見えるものにするとは、心の準備をする事なのです。