人を想うこと 自己犠牲の上に成り立つ 相手の幸せって 相手はそれで幸せなのかな 私は嫌だ 相手が自身を犠牲にしてたら その必要があるならば せめて相手には分からないよう 自惚れて泡になんてなりたくない 自惚れないよう この先も 食後のコーヒーと TVドラマから感じたこと
「良かれと思って」が大きなお世話とか、ありがた迷惑とか言われることが最近は増えた気がする。でも、根底の真心まで否定してしまっていないか?とも思う。相手にとって本当に為になる事なんて答えが出ない。ただ、互いに遠慮しすぎて、"アル"はずの想いが"ナイ"ような世界は寂しいかなぁ。
昨日は、私と一緒にご飯を食べてた人が、最高のクリスマスになったと言ってくれたから、よかったねと思った。 誰かを幸せにできたことが嬉しかった! 私と関わった人が幸せだと言ってくれることが私にとっての幸せ。
【言葉を考えるキッカケは家庭】家族で笑った事がない。家族で食事の一家団欒もない。悪口を言われ続け睨みつけられ全てを壊される毎日と夜カフェ子がどれだけ悪い人間かの教育が3人の年上が幼少から毎日徹底的に具体的にする。何もしてないのに?怒られる毎日。姉妹差別は有名で皆知ってる。親戚一同
いつかは…と考える。 自分にとっての幸せとは… 誰かを想い、 自らが我慢しなきゃいけない …いつか… その時まで…