YUI-KICHI★

【2から3へシフト中】 ☻ごまかし続けるのはもう限界という私へ ☻自由でありのままな…

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【2から3へシフト中】 ☻ごまかし続けるのはもう限界という私へ ☻自由でありのままな自分に戻りたい私へ ☻私といつも仲良しでいたい私へ ☻全てのあらゆる私へ

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  • シンプルライフ・コーチング

    心が疲れた時、身体がしんどい時、自己表現しながら自分と向き合う時間は、最高の癒しになる♡

  • 親子留学(フィリピン・セブ)

    フィリピン・セブへの親子留学体験と後記をまとめています。

  • 韓国語

    🌈自分のために主体的に学ぶ人を応援・サポート 🌈オリジナルレッスン・コーチングで伴走 🌈韓国語で自己表現する喜びと癒しを

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外側でもなく内側でもないところを感じる

外側の事に反応する時間には、エンタメ的要素がある。 私たちは、身の回りで起こる現実の出来事に、一喜一憂したり、自分のスケジュールや行動の軸を合わせがちだ。 はたまた、メディアやSNSを見て、視覚・聴覚の快楽を得る。 もしくは、情報の渦に飲み込まれ、不安や恐れを抱くことも。 しかし、それもまたこの世の娯楽。 ただ、そればかりだと、本質を見失ったり、「忙しい」と感じる。 逆に、内側と言っても、自分の思考や感情に注目するだけでは、これもまた、この世で生きている意味や使命を

    • インクルーシブという言葉が気になる。 「全ての人を取りこぼさない」 そんなの無理だと言わんばかりに、今日もまた刺激してくる私の陰。 ただ、認めて欲しいだけ。でも、それでいいじゃないか。 「全ての人」を最初から諦めてるよりは、夢物語でも、その表現自体に掬われ救われるのでは。

      • 身体への感謝と、たくさんの命への感謝

        赤ちゃんを授かるまでも奇跡だが、無事に生まれるまでにも、さまざまな壁がある。 私の場合、第1子は、妊娠初期に出血があり、切迫流産の診断を受けた。 第2子は、胎児の大きさが小さいとかで、大学病院で検査を受けた。 そして第3子は、妊娠中期に胎児不整脈が見つかり、後期まで続いていた。 しかし、どの子も結果として、元気な産声をあげてくれたのは、本当にありがたい奇跡なのだが。 身体の持つ力 第3子の自宅出産という経験は、自分や子の身体を信じること、その力に感謝することが大き

        • 映画『オーガズミックバース』上映会の感想

          毎月3日はお産の日。 今月は昨日がお産の日だった。 ということで、1日遅れではあるものの、お産に関する投稿を。 (記事を完成させたのが遅くなったので、このタイミングになってしまった) 先日、助産院にて開催された 映画『オーガズミックバース』の上映会に参加した。 アメリカにおける、いろんな夫婦のさまざまなスタイルの出産(主に自宅出産)の話 医師など専門家の話…が本人達の口から紡がれた。 いくつかキーワードとなるような印象的なワードが登場したが それらも絡めて 感じたとこ

        外側でもなく内側でもないところを感じる

        • インクルーシブという言葉が気になる。 「全ての人を取りこぼさない」 そんなの無理だと言わんばかりに、今日もまた刺激してくる私の陰。 ただ、認めて欲しいだけ。でも、それでいいじゃないか。 「全ての人」を最初から諦めてるよりは、夢物語でも、その表現自体に掬われ救われるのでは。

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        記事

          地球旅行X日目

          胸が押しつぶされそうな苦しみも 心躍るような喜びも 日常を単調に感じる心も 価値観が変わるような衝撃の出来事も 心臓が鼓動している間の一瞬に過ぎなかった。 理解されない悲しみも 独りぼっちと感じる寂しさも 人と比べて落ち込むことも 自分が嫌だと逃げ出してしまいたい気持ちも ぜんぶ、 生まれる前には味わえなかったレアな感覚で。 これでもかと誰かや何かを恨んでみることも これでもかと自分を痛めつけてみることも ぜんぶ、 自分で作り上げた最高のエンターテイメントのシナリ

          地球旅行X日目

          生まれ生かされ還っていく

          どんなに正しいことを言っても、人を傷つけてしまうことがある。 どんなに深い思慮を経て出た言葉でも、迷惑だと捉えられてしまうことがある。 どんなに心の奥から溢れた情熱があっても、相手には届かないことがある。 でもそれを全部ひっくるめて 「大丈夫、お互い様、あなたと私は違うから楽しい」 と受け入れられたら、 世界はきっと、もっと優しくなる…かも。

          生まれ生かされ還っていく

          「これからの時代」「世界では」などと言って、未来への不安や比較による焦りを煽って何かを売り込むのがどうも好きじゃない。 常套手段だけど。 そんな時の頻出ワード=お金や物質的財産、社会的地位、キャリアやスキルといったものに価値を置けば置くほど、それに縛られていくような感覚もある。

          「これからの時代」「世界では」などと言って、未来への不安や比較による焦りを煽って何かを売り込むのがどうも好きじゃない。 常套手段だけど。 そんな時の頻出ワード=お金や物質的財産、社会的地位、キャリアやスキルといったものに価値を置けば置くほど、それに縛られていくような感覚もある。

          「すごい人」と関わってると、自分まですごくなったような気分になることあるよね。 当人は気分いいし盛り上がってるけど、周りから冷静に見たら、ちょっと幼稚園児みたいなかわいさがあるというか。 大概そういう時の「すごい」って、資本主義の中の成功=お金、権力、名声だったりして。

          「すごい人」と関わってると、自分まですごくなったような気分になることあるよね。 当人は気分いいし盛り上がってるけど、周りから冷静に見たら、ちょっと幼稚園児みたいなかわいさがあるというか。 大概そういう時の「すごい」って、資本主義の中の成功=お金、権力、名声だったりして。

          「助産師になりたい!」

          今日のGo To産婆は県大での開催。 4月から参加を楽しみにしてた。 妊娠・出産を通し、助産師という仕事を尊敬し、魅了されて、その尊さを事あるごとに称えたくなる。 ただ、今回のGo To産婆は、助産師を志す学生のためメインの開催だろうから、私が行って(席を埋めてしまって)いいのかなー?と迷ったけれど @budounokijosanin さんに相談したら「家族で参加OK」と言って頂き参加🥹 助産師に興味あると言ってた長女はしぶしぶ付いてきた感じで、途中からパパと次女と

          「助産師になりたい!」

          つらいことがつらいのは、「つらい」という気持ちを外に出せない時=助けを求められない時=誰とも分かち合えない時かもしれない。 つらい事でも、乗り越えることで成長できたり、人に優しくなれたりする。 本当に乗り越えるためには、「つらい」と言えること、聴いてもらうことが必要だ。

          つらいことがつらいのは、「つらい」という気持ちを外に出せない時=助けを求められない時=誰とも分かち合えない時かもしれない。 つらい事でも、乗り越えることで成長できたり、人に優しくなれたりする。 本当に乗り越えるためには、「つらい」と言えること、聴いてもらうことが必要だ。

          あるはずのない答えを、分かっていながらも探し回る。 糸口でも見つかるかもしれない…と。 己の醜さと向き合うのは辛いから。 でもすべてのことは表裏一体というのなら、醜さは美しさでもあるのかもしれない。 今はまだそれが理解できなくても、きっとそうなのだと信じたい。

          あるはずのない答えを、分かっていながらも探し回る。 糸口でも見つかるかもしれない…と。 己の醜さと向き合うのは辛いから。 でもすべてのことは表裏一体というのなら、醜さは美しさでもあるのかもしれない。 今はまだそれが理解できなくても、きっとそうなのだと信じたい。

          現代人って、感染症みたいな病気には敏感で、排除するべきもの、罹ってはならないものという意識が強い気がする。 でも、差別や偏見といった社会の病に関しては、罹ることに鈍感なのか?気付いてなかったり、受容してしまったり。 病気への嫌悪や恐怖が、心の病、社会の病につながることもある。

          現代人って、感染症みたいな病気には敏感で、排除するべきもの、罹ってはならないものという意識が強い気がする。 でも、差別や偏見といった社会の病に関しては、罹ることに鈍感なのか?気付いてなかったり、受容してしまったり。 病気への嫌悪や恐怖が、心の病、社会の病につながることもある。

          赤ちゃんの小さな身体から溢れ出る大きな力。 ご飯もトイレも移動も一人でできないのに、居るだけでこんなに人に幸福感を感じさせる事ができる。 こちらをまっすぐ見つめる眼差しは、この世の全てを見通すかのような神聖さを持つ。慈悲のようなものさえ感じる。 人は皆赤ちゃんだったのにね。

          赤ちゃんの小さな身体から溢れ出る大きな力。 ご飯もトイレも移動も一人でできないのに、居るだけでこんなに人に幸福感を感じさせる事ができる。 こちらをまっすぐ見つめる眼差しは、この世の全てを見通すかのような神聖さを持つ。慈悲のようなものさえ感じる。 人は皆赤ちゃんだったのにね。

          末子が産まれ、再び、予防接種関連の情報収集開始。 次女のアトピーを契機に、コロナ禍も経て、関心を持ち続け、結構いろいろ調べてきたつもり。 結局は、どのリスクを取るか?のようだ。 同時に、我が子の命や健康について、予防接種以外も含めて考え続ける必要があると思う。

          末子が産まれ、再び、予防接種関連の情報収集開始。 次女のアトピーを契機に、コロナ禍も経て、関心を持ち続け、結構いろいろ調べてきたつもり。 結局は、どのリスクを取るか?のようだ。 同時に、我が子の命や健康について、予防接種以外も含めて考え続ける必要があると思う。

          今日はお釈迦様の誕生日。花まつり。甘茶が飲みたいけれど、代わりにほうじ茶をありがたく頂く。 でもたまたま教皇の言葉が刺さった。 「何のために生きるのか?」より「誰のために生きるのか?」が大切だと。 行き詰まり、息詰まり、生き詰まったら、「誰と共に生きたいのか?」考えてみようか。

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          人の役に立たなければ、生きている価値がない? 一度でも、間接的にでも、人を笑顔にすることができたら、それは「人の役に立った」と言ってはいけない? 生きている価値というものがあるのなら、その価値はどういう基準?誰が決める?

          人の役に立たなければ、生きている価値がない? 一度でも、間接的にでも、人を笑顔にすることができたら、それは「人の役に立った」と言ってはいけない? 生きている価値というものがあるのなら、その価値はどういう基準?誰が決める?