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愛の本質! – 愛されることよりも、愛することに価値がある–

1 はじめに

多くの人が「愛されること」を求めています。愛されることで安心し、存在を認めてもらいたいと願うのは、ごく自然なことです。しかし、真に心が満たされる愛とは「愛されること」ではなく、「愛すること」にあるのではないでしょうか?

愛することができる人は、すでに自身が満たされているからです。愛することで自らの内面を豊かにし、関係性を深めることができるのです。今回は、愛を「与えること」の価値について考察し、学びと気づきをシェアします。

2 愛は「与える」ことで完成する

愛を求めるとき、私たちは相手からの反応を期待します。しかし、期待が裏切られたとき、不満や寂しさが生まれてしまう。これは「受け取ること」を前提にしているからです。

一方で、「愛すること」を大切にする人は、見返りを求めません。無償です。ただ相手の幸せを願い、相手のために尽くす。すると、自然と相手の心も開き、関係がより深まるのです。

例えば、親が子どもを愛するとき、見返りを求めるでしょうか? もちろん、感謝されたり、成長した姿を見たりすることは喜びになります。しかし、親の愛は本来、子どもの幸せを願う無償のものです。恋愛やパートナーシップも同じ。愛することそのものに喜びを見出すことで、私たちは本当に自由になれるのです。

愛を「与えること」によって、愛そのものが自分の中で完成していく。愛することで、愛は真実の姿を現すことが腑に落ちました。


3 学びと気づき – 愛を与える3つの習慣

(1)期待せずに愛する

愛を「見返り」ではなく「贈り物」として考えてみましょう。相手のリアクションがどうであれ、自分が愛したいから愛する。その姿勢を持つことで、相手の反応に一喜一憂しなくなります。愛は、見返りを求めないときに最も純粋なものとなるのです。

(2)小さな愛を積み重ねる

愛は大きなイベントではなく、日々のささいな行動の積み重ねです。相手の話を真剣に聞く、さりげなく手を差し伸べる、何気ない優しさを忘れない。そうした「小さな愛」を積み重ねることで、愛は形をなし、揺るぎないものになっていきます。

(3)相手の幸せを願う

「相手が自分のことをどう思うか」ではなく、「相手がどうすれば幸せになるか」を考えてみましょう。自分の欲望やエゴではなく、純粋に相手の幸せを願うこと。それができたとき、愛はもっと自由で、大きなものへと成長します。


4 確信設定アファーメーション

私は、見返りを求めず、ただ愛することを選びます。私は、愛を与え続けることで、真の愛を受け取り、真に満たされます。


5 おわりに

愛されることを求めるのではなく、愛することを楽しむ。その生き方ができたとき、私たちは人間関係においても、自分自身においても、圧倒的な自由を手に入れることができます。愛は、奪うものでも、所有するものでもなく、「与えたとき」に最も純粋に輝きます。

圧倒的に愛することを楽しむ。このマインドセットは難しいですが、これからの人生において、愛を「与えること」を楽しめる人になれるよう努めていきたいと思っています。愛の本質を考えるシリーズを続けてみます。

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