我が國は兆しを花と視る傾向があり、禪語に於いても無一物中無尽蔵といったあたりに、まことの花は無のなかにこそあるといった姿勢がみられる。花は散り無に還るからこそ美しく、或る意味咲いた花はもはや花でなくなる。さらに云えば、無のまえこそ花であろう。實際、花は花のまわりに靜かにただある。