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やられたらやり返すのか問題と禅

以前の日記にも書いたが、
私の心は常に恨みや怒りの感情が8割を占めている
10年どころか20年以上前のことでも定期的に思い出すとその時にタイムスリップしたみたいに一瞬で同じ温度まで体温が上昇し、沸騰寸前まで腹が立つ
そして相手の不幸を心から願う
もちろんその感情の中には自分への嫌悪感も含まれており、
結構な頻度で自分が許せなくなる
そういう時は、自分がビルの屋上から飛び降りて頭が真っ二つに割れる想像をすると不思議と気分が落ち着く
私の人生を凝縮すると、平均寿命まで生きたとして、50年くらいは他人と自分への負の感情に苛まれているだろう

例えば会社で嫌なことしてきたやつがいたら、絶対にやり返したい。なんとかやり返す方法はないかといつもいつも考えている
そのやり返し方を頻繁に夫に相談するのだが、残念ながら一度も前向きに相談に乗ってくれたことはない

以前、夫が自分はやられてもやり返さないと言っていたのが気になって、深掘りしてみた


私:マウントをとられたら?
夫:マウント取られたってまず思ったことない。でもそうだなぁ、すごいねってニコニコ話を聞く

私:相手の方が明らかに間違ってるのに上から目線で話されたら?
夫:うんうん、て聞く

私:向こうのほうが劣ってるのにバカにされたら?
夫:何を持って向こうが劣ってると思うのかわからないからバカにされたとあまり感じない

私:じゃぁ仕事のできないやつに上から目線で指示されたら?
夫:その指示の内容による

私:自分より学歴や収入が低い人に偉そうにされたら?
夫:その人が偉そうなのと俺の学歴や収入は関係ないからその人に対しては特に何も思わない。でも偉そうな態度は嫌だなぁとは思うけどすぐ忘れる

私:間違った知識をひけらかされたら?
夫:そっかそっかーって言う

私:変な噂を立てられたら?
夫:暇だなぁって思う

私:ブスとかデブとか言われたら?
夫:ふーん。て思う

私:明らかに軽んじた態度を取られたら?
夫:嫌だなぁとは思う

私:恥をかかされたら?
夫:思い出したくないから早く忘れる

私:嫌なことを言われたりされたりしたら絶対に同じ思いさせてやろうと思わないの?
夫:思わない。その時は嫌だなって思っても、その話はその場で終わってるんだから後から思い返したりしない


「やられたからやり返すっていうのは違う
やられた。って言う大義名分さえあれば、人を攻撃していいのかって話になる
人を攻撃したり、傷つけたり、嫌な気持ちにさせたりしてはいけないのは最初からそうに決まっていて、自分はその正しい行動に従って生きているだけで、別に理性で押さえているわけではない。
俺はやられたらやり返す人を見たら、普段は理性で押さえているだけで、何かあったら攻撃してしまうような倫理観の持ち主なのかって思ってしまう」
と勝手に締めくくり、インタビューは打ち切られてしまった
そして、

にゃんこはちょっと、禅の本を読むと良いよ

と言い残して去っていったかと思えば、後日ほんとに二冊渡された。その日の仕事中、

「無一物中無尽蔵」

とラインがきた
念の為、夫も私も無宗教ではある。

本来無一物

人は生まれながらにして持っているものは何もない
我が身一つでこの世に生まれてきた

「無一物中無尽蔵」という禅語があるように、
何もないということはつまり、そこに無限の可能性があることに他ならない「失うものは何もない」ことほど人を強くする境涯はない

リーダーの禅語



貸してもらった本は次の日休みにちゃんと二冊読んだ。素直。
自己肯定感の大切さが至る所で叫ばれている今の世の中ではあるが、どちらかというと、
自分は無条件で愛されるべき存在で、生きているだけで特別、そんな自分を信じてあげよう☆ラブ!自分!フォーエバー☆
みたいな方向に解釈されたマインドが流行っている気がする

無一物中無尽蔵、その考え方のように、自分は最初から何も持っていない、何も特別ではない、という気持ちを持ち、そんな自分も、他人も、同じように許しながら生きていく方がずっと難しい。難しいから、そう簡単に流行らない。

バカにされた!とか
マウント取られた!とか
軽んじやがって!
といった怒りを私はすぐ覚えるけど
それは自分が周りに特別に扱われて敬われて然るべき人間だという自負と、逆に自分は何も持っていないのに他人はいろんなものを持っているという劣等感、その一見相反するように見えるけど実はそっくりな二つの感情からくるものだと思う

自分は何も持っていない
特別なことなど何もない
周りも同じように何も持っていない
その精神性を少しでも持ち合わせていたら、

雇ってもらえる会社があるだけでありがたく、できることとできないことが極端なのに、それなりなポジションまで行けたことも運が良く、仕事上で本当に色んな人と衝突したのに、毎週のように送別会をやってもらえることも、過去に嫌なことをしてきた殺したいリストに入ってる奴らもみんなその送別会に参加したいと口々に言ってくれていることも、来んなよと思うけど、その気持ちに対しては感謝した方が良いのかもしれない
雨風を凌ぐ家があるだけで、家族が元気でいるだけで、娘が毎日笑顔でいるだけで、預ける保育園があるだけで、人々に支えられてここにいる、裸一つで生まれてきた自分が、やっとこうして生きていられる、その前提で生きていればいろんなことに感謝が生まれて、世界が違って見えるのだろう

後3回、いや、8回生まれ変わる必要がありそう。
現世では手放せないこだわりやプライドがありすぎる
何もかも、凪のように、右から左に受け流し、感情を波立たせず、ただ自分のやることのみ集中し、人々に感謝の気持ちを持って生きれたら良いけど、でもそれ全然私じゃない。全然違う人になる。もはや誰。
いつもいつも怒ったり泣いたり恥ずかしがったり恨んだり、後悔したり、気分が高揚したり忙しくて、そういう自分といるのは本当に疲れるけど、飽きない
以前、反応しない練習という本を読んだりもしたけど、すぐに感情が動く自分は嫌いではないし、でもどうせなら良いことにだけ心を大きく動かしたい

ちょうど今から1年ほど前、娘が初めての保育園で一ヶ月に渡る飲まず食わずのボイコットの後、やっと蒸しパンを一口食べた娘に、保育士さんが涙を流して喜んでくれたのを見た時、
なんで人は、赤ちゃんの頃の記憶を忘れてしまうんだろうと強く思ったんだった

自分が、蒸しパンを食べただけで、泣いて喜んでくれた他人がいたことを、覚えおけたらいいのに

大人たちがみんな、そんな記憶を胸にその先の長い人生を生きていけたらいいのになぁ

本当に大切なことだけに反応して、覚えておいて、嫌なことは忘れてしまうのがきっと一番良い
やり返し方を考えている間は、忘れることができないし、やり返してしまったら余計に強く自分の記憶として残るから、確かに夫の言う通り、やられてもやり返さない方がいい

どうせなら機嫌良く生きて行きたい








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